「私は壊れてしまった」 五輪を捨てて世界的スターになった女子体操「ケイトリン・オオハシ」が作る新時代とは(小林信也)
高校時代の挫折
オオハシは1997年4月、ワシントン州シアトルで生まれた。父は日系3世、母はドイツ系アメリカ人。9歳のころに体操を始め、2009年には全米ジュニアチームに選ばれ、13年まで在籍していた。その13年には、リオ五輪金メダリストになるバイルズを抑え、アメリカンカップで優勝も飾っている。そこまでは将来を嘱望されるアメリカ体操界の星だった。
だが、脊椎の損傷や両肩のけがに見舞われたオオハシは高校時代に体操の表舞台から降りてしまう。要因は内面の問題にあった。後に米メディアに「私は壊れてしまった」と語っている。
「けがをしてよかったと思った。ふっくらした女性の体形を恥ずべきだと批判されたし、“太って飛べない鳥”と揶揄されたりもした。けがする前からそう言われ続けていた。体操は私の人生そのものだった。自分自身を受け入れられなかった」
挫折。競うことが嫌になった。オオハシは、幼い頃からの夢だったはずのオリンピック出場をつかみかけて、手放した。当時、アメリカ女子体操界には医師による性加害問題が内在していた。そんなチームの空気も彼女の心に影を落としていたのかもしれない。
異色コーチの支え
新たな変化は大学進学時に訪れた。自然な体形を否定され、人の尊厳まで踏みにじる競技には戻りたくない。けれど体操への思いは断ち切れなかった。そんな時、UCLA女子体操部の監督ヴァロリー・コンドース・フィールドから電話をもらった。オオハシは警戒しながら言った。
「私は、すごい人には戻りたくないんです。それでも大学に入れてもらえますか」
ヴァロリーは、オオハシの傷ついた心を察し、受け入れた。UCLA女子体操部の監督を29年間も務め、うち7回の全米大学選手権優勝に導いて「女子体操の名コーチ」と言われるヴァロリーだが、実は体操経験がない。「バレエの世界で育ち、側転もできない」と言うヴァロリーは、バレエの実績を買われて抜てきされた異色のコーチなのだ。競技経験がないからこそ、競争を忌避するオオハシの心を次第に和らげることができたのだろう。後に、TEDトークでこう語っている。
「入学して半年たった頃、ケイトリンは私の眼を見て言いました。『監督、一応お伝えしておきますが、監督が私にやれと言ったことを私は全部反対にやります』。私は気が遠くなるほどゆっくりしたペースで信頼を築き、私が何より彼女を人として大切にしていることを証明し続けました」
五輪のメダルを持たないオオハシに各方面から出演や講演などの依頼が舞い込んでいる。次にオオハシが何をするのか、未知の可能性に彼女自身もファンも胸を躍らせている。
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