ビートたけしの師匠、最後の浅草芸人…焼死した深見千三郎とはどんな芸人だったのか
運命の夜
深見が引退して1年ほど経ったころ、奥さんがひっそり息を引き取る。踊り子時代から酒好きで、アルコール中毒になり、命を縮めたという。
奥さん、たけし……。身近な人たちが次から次へと離れていった。
深見に残ったのは「元芸人」という肩書だけである。道端で人と会えば、「師匠、元気ですか?」と誰からも声を掛けられたが、やはり現役で舞台に上がりたかったに違いない。
そして、「運命の夜」がやってくる。
83年2月2日の朝日新聞夕刊は「浅草コメディアンの師匠焼死」という見出しで、こう伝えている。
《二日午前六時半ごろ、東京都台東区浅草三丁目、第二松倉荘の四階四十六号室から出火、同室約十七平方メートルが全焼した。この火事で同室の会社員久保七十二さん(59)が焼死体で見つかった。
東京・浅草署の調べでは、久保さんは深見千三郎の芸名で、十七歳の時から浅草でコメディアンとして活躍、故堺駿二や東八郎らと一緒に舞台にも立った。四十五年から五十六年まで軽演劇、ストリップ劇場で知られた浅草フランス座社長。その後、ビートたけしを見いだし、育てるなどし、浅草育ちの芸人の面倒をよくみたという。(中略)
同署は、六畳間の真ん中に、焼けた石油ストーブがあったことなどから、たばこが原因ではないか、として調べている》
深見は愛妻を亡くしてから急激に酒量が増えたそうだ。浅草演芸ホールを運営する東洋興業会長の松倉久幸氏(87)は振り返る。
「『千さん、あんまり深酒はしないほうがいいよ』と何度か言った覚えがあります。でも、聞くような人じゃありませんでしたね」
おそらく、火事が起きた日も、あちこちの店をまわり、飲み歩いたのだろう。深い孤独の影が、最後の浅草芸人に忍び寄る。泥酔したのだろう。「歩いて帰れるだろうか」と心配した人もいたという。
深見はアパートまでたどり着き、4階の自分の部屋まで這うようにして上がっていったに違いない。先述した松倉会長は、こんな見方をしている。
「誰もいない真っ暗な部屋に入り、明かりもつけないまま座り込んで、酔いでふらつきながらたばこに火をつけたのだろう」
要するに、寝たばこの火が布団に燃え移ったという説である。取材を進めると、アパートの同じ階で暮らしていた男性がきな臭いにおいがするのに気づき、深見の部屋まで駆けつけたところ開いた状態のドアから炎が出ており、中から悲鳴が聞こえたため119番通報したという。
必死に逃げようとした深見。だが、外に逃げることはできなかった。警察によると、ドア近くで深見は焼死体となって見つかった。アパートには19世帯が入居していたが、他の入居者にけがなどはなかったという。
深見の焼死をフジテレビの「オレたちひょうきん族」の収録中の楽屋で聞かされたのがたけしである。全身が打ちのめされ、膝がワナワナと震えだしたという。「古き良き浅草を知る人がまた消えてしまった」と浅草の人たちは深見の最期を惜しんだ。
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