インバウンド景気で予想外の恩恵を受けた関西の都市とは? 統計データで分かった「勝ち組」と「負け組」

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 コロナ禍において落ち込んでいた外国人観光客のインバウンド需要。しかし、今年に入り、急速に以前の勢いを取り戻しつつあるようだ。東京の銀座や浅草、大阪の道頓堀、京都の祇園や清水寺などは海外からの旅行者で賑わい、すでにコロナ前の状態にまで回復したかにも見える。

 一方で、このインバウンド需要をめぐり、都市間における「勝ち組」「負け組」の格差が徐々に広がっているという。京都大学名誉教授で、京都に半世紀以上かかわってきた経済学者の有賀健氏は新刊『京都―未完の産業都市のゆくえ―』(新潮選書)(新潮選書)で、大阪・京都・神戸の関西3都市のインバウンド効果について興味深い分析をしている。同書の一部を再編集してお届けしよう。

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閑散としていた関空

 関西国際空港が開港したのは1994年。それまでは手狭で便数も限定された大阪(伊丹)空港か、伊丹から国内線経由で成田発着にするか、海外出張の度に悩ましい選択を迫られた者の一人として、関空の開港はうれしいニュースだった。

 また、伊丹空港は、夜間離発着禁止のため、夕刻に到着予定の便は、数時間出発が遅れると到着が夜9時以降となるため、帰国便はそのまま出発空港で足止め、帰国が1日遅れた経験も数回あった。

 24時間利用できる関空の開港はその面でも大歓迎である。しかし、明るい将来が見えたのは最初の2年ほどで、関空は旅客数と発着便数の低迷に悩まされることになった。低迷は21世紀に入っても続き、アジア近隣諸国以外、特に欧州や米国東海岸方面は減便が続き、ロンドンやニューヨークへの直行便さえ定期便がないという寂しい状況が続いた。

インバウンド・ブーム

 関空の閑散とした状況に変化が現れたのは、いうまでもない外国人観光客の急増のためである。

 一時期、年間の国際線旅客数が800万程度にまで減少していたのが、リーマンショック後の回復過程で次第に増加が加速し、2018年には2300万に達した。この間、首都圏と同じく、というかブーム到来前と比較すればそれ以上にインバウンド・ブームの恩恵にあずかったのは関西の主要観光地であった。

恩恵を一番受けた都市は?

 しかし、大阪、京都、神戸の3都市を比較するとその影響は大きく異なることに気づく。時計の針をほんの10年ほど前、東日本大震災の頃に戻すと、この3都市の中で大阪がインバウンド・ブームの恩恵の最大の受益者になると予想した者がどれだけいただろうか?

 大阪ほど、観光と縁のない日本の大都市を考えることは難しかった。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが2001年にオープンする前は、全国的に知られた観光名所といえば大阪城くらい、前もって知識を入れておいた人であれば海遊館(水族館)が加わるだろうか?

 ミナミの中心にあたる戎橋や心斎橋界隈は、名前ぐらいは聞いたことがあったとしても、わざわざそこへ出かけるほどの魅力があると考えた人は少なかったのではないか?

期待外れの神戸人気

 京都はいうに及ばず、大阪と比較すれば神戸の方が遥かに観光スポットとして思い浮かべる場所は多い。六甲・摩耶、その北側の有馬温泉、北野の旧外国人居留地、メリケン波止場と南京町(中華街)等々。しかし、その後の10年を振り返ると、インバウンドの大多数は大阪と京都を選び、神戸を訪れる外国人観光客は、さすがにこの10年で増えはしたものの、凡そ期待外れであったことは否定できない。

 2013年、兵庫県の外国人宿泊者数は35万、京都府143万、大阪府279万、東京都487万であったが、2018年には兵庫県88万、京都府286万、大阪府846万、東京都1060万となった。このわずか5年間で大阪の外国人宿泊者数は3倍、京都はちょうど2倍、兵庫は2.5倍、東京は2.2倍である。しかし、絶対数でいえば、兵庫は大阪の10分の1、京都と比べても3分の1未満である。

8割強がアジアから

 この間の外国人観光客の急増は中国、台湾、韓国に香港、シンガポールやタイ、マレーシアなどの東アジアと東南アジアからの観光客の急増によるものである。それ以外、北米や欧州からの観光客も増加はしたものの、構成比(2018年)でみると最初にあげた3か国で66%と3分の2を占め、アジア全体で86%を占める。

 大阪への集中が意外であると感じたのは、アジアからの観光客の急増と、彼らと北米や欧州からの観光客の行動や嗜好の違いを考慮に入れていなかったことによるものかも知れない。アジアからの訪日客の特徴は、訪日が最初の海外旅行である比率の高さ、全体として買い物、食事、テーマパークが3大訪問目的で、欧州や北米からの観光客が歴史的都市の風景や風物の魅力に重点が置かれるのと大きく異なる。

大阪観光の魅力とは?

 そう考えるとなぜ大阪への訪日客の集中がこれほど意外に思えたのか、納得がゆくかもしれない。多くの日本人は自らの海外旅行の経験も踏まえて、訪日客のイメージとして欧米からの観光客に近い行動を想定していたのかも知れない。その想定では大阪にそれほど魅力があるようには思えなかったし、実際近年の統計を見ても、欧米からの訪日客は相対的にはより東京と京都を好む傾向が明確である。

 そして、大阪の魅力は何といっても大都市の魅力である。京都も神戸もこの一点では決定的に大阪に劣る。買い物、食事、テーマパーク、いずれをとっても大阪の魅力は他の2都市を圧倒する。

 また、京都は大阪に比べて宿泊施設の容量に限界があり、旅館のシェアが相対的に大きく、2010年代前半までは特にホテルの客室数の不足が京都観光の大きな制約要因になっていた。京都は江戸時代からの観光地であるが、それでもインバウンド・ブームの与えた影響はこれまでにない、大きな変化を町にもたらした。

観光客の争奪戦

 観光客の受け入れの主役となる観光業という産業の立場から見ると、二つの局面がある。まず、多くの観光地の間で観光客の争奪戦がある。

 競争は主に、地域対地域、都市対都市で行われるから、同じ地域や都市の中で観光に関わる多くの業種や企業は出来るだけ多くの観光客を呼び込むという一点で利害が一致する。

 次に、やってきた観光客を巡っては一方では競争、他方では共通利益を持つ者同士の協調が併存する。

大阪日本橋と東京秋葉原の利害得失

 入国と出国の空港を入れ替えるだけで、大阪の日本橋(にっぽんばし)と東京の秋葉原の利害得失は大きく変化する。旅行会社のツアーの組み方次第で、東西の量販店やドラッグストアは大きな影響を受ける

 具体例を示そう。今世紀に入り、中国や韓国などアジアからの観光客が急増し始めた当初、大阪市内の多くの家電量販店やドラッグストアは、アジアからのツアー客の大半が、関西空港から入国、成田から出国というルートを取ることについて、航空会社や旅行代理店に、出入国を入れ替えるか、出入とも関空のツアー増便を要望した。

 観光客の多くが、出国直前で大量の土産品を購入するため、旅程の最初にある大阪では、彼らは多くを出費しない。大量購入は、大半が秋葉原など(成田からの)出国直前の都内の量販店に集中する。逆方向の旅程や出入国とも関空のツアー価格が割安になると、大阪の量販店は出国直前の大量購入の受け皿になれる。

 同じ日程でほぼ同じ都市を巡るツアーであっても、入国と出国の空港を入れ替えるだけで、大阪の日本橋(にっぽんばし)と東京の秋葉原の利害得失は大きく変化する。旅行会社のツアーの組み方次第で、東西の量販店やドラッグストアは大きな影響を受ける。

負の金銭的外部性

 このように、ある企業や個人の市場を介した行動が他の企業や個人の利害に影響を与えることを、金銭的外部性という。金銭的外部性は、公害や地球温暖化がもたらす影響のような技術的外部性とは異なり、それ自体は市場の失敗ではない。

 しかし、市場がそもそも完全競争ではない場合は、金銭的外部性は、市場の歪みに影響をもたらすことがある。金銭的外部性は、観光業の内部に限定されない。メディアで頻繁に取り上げられる「波及効果」とは、この金銭的外部性の規模や内容を指すものと考えられるが、その議論で殆どの場合無視されるのが、負の金銭的外部性である。

観光業による地代・家賃の上昇

 秋葉原と大阪日本橋の家電量販店のケースはその意味で極端な例で、一方のプラスはほぼ他方のマイナスで相殺される。日本全体から見れば、どちらが中国人観光客の「爆買い」の恩恵を受けることになっても大差はないだろう。

 すこし理屈をいえば、秋葉原や日本橋の量販店がこのような需要のシフトに躍起となるのは、そこに超過利潤があるためで、正負を問わず金銭的外部性が問題となる場合は、市場が競争的ではないという条件が潜んでいることが多い。

 そして、負の金銭的外部性の中でも最も重要なものが、観光客の増加、観光関連産業の成長による地価や地代・家賃の上昇がもたらす影響である。

建築規制と土地需要の相乗効果

 京都のような都市単位で他産業にマイナスの影響を与える媒介役として機能するのは地価や地代と家賃であろう。ある都市で特定の産業の生産性が際立って高くなる、あるいは産業に対する需要が急増することで立地が進んだ結果、地価そして地代が高騰し、他の産業がこの都市から次第に駆逐されてゆくようなことが起これば、その現象はほぼ北海油田がもたらしたオランダ経済への影響と同じような結果をもたらしうる。

 特に、観光誘致に重要な景観を保護する建築規制が導入される場合、保護策が土地利用の選択肢を狭め、供給を制約し、観光業の土地需要の高まりとの相乗効果により問題はより深刻になる可能性が高い。

中・低所得国には魅力的な観光業

 観光業は、中・低所得の国や地域にとっては魅力的である。例えば、アジアの中でも観光業の成功が特に喧伝されたタイの場合、観光産業が地域経済の核となっているのは、タイ湾と西側のアンダマン海に点在するビーチリゾートである。その中でも最大のリゾートがプーケット(島)である。

 プーケットを訪れる外国人観光客は年間1000万人を超える。地域の労働市場は、タイ全国の中でも最も賃金水準が高く、バンコク首都圏を上回る。それは、観光業の中心となる、ホテルや飲食、様々のサービス業などの賃金水準が、他産業に比べて高いことを反映するからだ。そのため、タイ湾岸東部に1980年代以降急速に集積が進んだ、自動車、石油化学、機械といった産業立地はプーケット周辺では殆ど見られない。プーケットの成功はタイ経済全体にとっても大きなプラスであるといえよう。

先進国では限定的な波及効果

 しかし、日本のような先進国の場合、事情はやや異なるように思える。観光関連で新規参入が起こると予想される産業が、いずれも賃金水準が低い業種であり、雇用創出の効果も限定されたものである可能性が高い。観光に直接かかわる宿泊業、飲食業、鉄道、バス、タクシーなどの輸送関連業種のいずれをとっても平均賃金水準は経済全体の平均を下回る。

 また、観光業の成長がもたらす波及効果は、その及ぶ範囲が限定されている可能性が高い。観光客が滞在中に消費する財貨は住民の消費する財貨とは異なり、限定された品目、例えば宿泊施設や観光施設の利用、レストラン、交通手段、興行、土産物といった品目である。つまり、観光客の消費は特定品目に集中する。観光ブームの波及効果は喧伝されるほど大きくはないかも知れないことに気づく。

観光ブームの正と負の効果

 ここまでの議論を整理しよう。観光ブームは二つの重要な影響をもたらす。第一に、観光地固有の生産要素、特に土地に対して観光ブームは大きな需要増加をもたらし、地価や地代、賃貸料が高騰する。

 他方、観光ブームは観光関連産業への需要増、この産業自体の成長をもたらす。観光に関連しない他産業への影響は、地価や地代の高騰がもたらす負の効果と、観光関連産業の成長による雇用の増加がもたらす正の効果の大小に依存する。観光ブームは観光産業以外にはプラス・マイナス双方の影響が考えられる。

※有賀健『京都―未完の産業都市のゆくえ―』(新潮選書)(新潮選書)から一部を再編集。

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