独立から6年 ジャニーズの窮地で、際立つ「新しい地図」の緻密な戦略 来年のイベントでサプライズ情報も
新社名「SMILE-UP.」と、新たにタレントのマネジメントを行うエージェント会社の設立を明らかにしたジャニーズ事務所。被害者への補償や所属タレントの動向など、新体制へ移行しても、取り巻く環境は依然として厳しいものがある。
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その一方で2017年9月にジャニーズを退所し、創設から6年を迎えた共同プロジェクト「新しい地図」の稲垣吾郎(49)、草なぎ剛(49)、香取慎吾(46)はまったくの“無風状態”で順調に芸能活動をこなしている。
「3人を率いるSMAPの元チーフマネジャーだった飯島三智氏は、数少ないジャニーズの内勤スタッフでした。そのため、ジャニー氏の性加害をまったく知らないはずはないのですが、一部メディアからの質問状には“知らぬ存ぜぬ”を決め込んでいます。イベント取材で立ち会っても、マスコミを避けるように、我々の前には姿を見せない。どうやら、嵐が過ぎ去るまで静観する構えのようですね」
と、語るのはベテラン芸能記者。
「SMAPを売り出した手腕は大いにジャニー氏に評価され、次期社長候補に名前があがった時期もありました。SMAPの全権を持っていたことで、現場の関係者たちの“飯島詣で”は恒例の風景でした」
確かに飯島氏の手腕は並大抵ではない。3人の退所後、ジャニーズ時代同様に有料ファンクラブを設立したところ、3日で10万人の入会があり、国民的アイドルグループの元メンバーだった3人の根強い人気をうかがわせた。また、当時のジャニーズ事務所は肖像権にこだわり、各WEBメディアにおけるニュース記事での写真掲載はNGで、SNSはもってのほかだった。写真の許可など“ネット規制”が緩和されていくのは、19年7月にジャニー氏が亡くなってからのことだ。一方、「新しい地図」は真っ先にSNSにも進出。Facebook、Instagram、LINE、Twitter(現・X)、微博(ウェイボー)、YouTubeの公式アカウントを次々に開設し、PR活動のツールとしてフル活用したのである。
退所に伴い、19年3月までに続々と3人のレギュラー番組が終了したが、NHKと民放各局がジャニーズへの忖度で起用しないことを見越し、飯島氏は独自の人脈で大胆な戦略を打ち出す。しかも強力なバックを付け、大物を担ぎ出すことに成功する。
「飯島氏とインターネットテレビ局・AbemaTV(現ABEMA)を運営するサイバーエージェントの藤田晋社長とのパイプです。ジャニーズ退所から1カ月半ほどの17年11月2日から5日まで、3人が出演した72時間の生放送特番『72時間ホンネテレビ』を放送したのです。斬新すぎるアイデアで、芸能界の度肝を抜きました。その後、ABEMAで18年4月から3人の月1レギュラー番組『7.2 新しい別の窓』がスタートし、現在に至っています」(民放ディレクター)
今や、続々とオリジナルコンテンツを世に送り出し、サッカーW杯の全試合生中継や世界最大のプロレス団体・WWEの無料中継など、潤沢な資金力を見せつけているABEMAだが、当時の芸能界は、その存在をさほど重視してはいなかった。しかし、飯島氏の戦略はここでも見事な成果をおさめる。
「同番組には爆笑問題、市川海老蔵(現・市川團十郎)、山田孝之、山﨑賢人、堺正章ら大物が続々と登場。さらに、HIKAKIN、はじめしゃちょーら人気ユーチューバーに弟子入りするなど面白い企画も満載でした。テーマ曲は3人が歌う『72』で、番組内で初生披露されました。3日間の総再生回数は、当時のAbemaTV史上最高の7400万回を記録したのです。さらに、元フジテレビ社員で日本財団の笹川陽平会長の息子がSMAPの冠番組『SMAP×SMAP』のプロデューサーだった縁で、同財団との強力なパートナーシップを締結しました。ABEMAの特番に先駆けて都内で開催された、同財団主催のアート展に香取の作品を出品。安倍晋三首相(当時)も来場し、香取がアテンド役を務めて案内しています。同財団と新しい地図が共同運営する『LOVE POCKET FUND(愛のポケット基金)』も設立しました。これまで様々な被災地に寄付活動を行っています」(同)
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