常温で水素を運ぶ画期的技術で世界を変える――榊田雅和(千代田化工建設代表取締役会長兼社長)【佐藤優の頂上対決】
ロシアのウクライナ侵攻で出来したエネルギー危機。これに伴い争奪戦が繰り広げられているのが、石炭石油よりCO2排出量の少ない液化天然ガスである。千代田化工建設は、そのプラント建設で全体の4割に関わる。この世界有数のエンジニアリング会社は、現況にいかに対峙し、どんな戦略を立てているか。
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佐藤 ロシアのウクライナ侵攻から1年半がたちました。この間、ロシア産の天然ガスの供給が制限されたことから、欧州を中心に各国でエネルギー政策の転換を余儀なくさせられました。その中で大きく注目されたのがLNG(液化天然ガス)です。千代田化工建設は、そのプラントを手掛ける世界有数のエンジニアリング会社ですね。
榊田 世界の約4割のLNGプラントに関与しています。もっともLNGプラントを建設できる会社は、いま4社ほどしかないのですが。
佐藤 破壊されたロシアの天然ガスパイプライン「ノルドストリーム」に依存していたドイツは、初のLNG受入基地建設を決めました。
榊田 欧州、中東、アジア、米国など、世界各地でLNG増産が活発に検討されるようになりました。弊社にも、さまざまな検討の依頼が来ています。ただ、プラント建設にはかなりの時間を要します。
佐藤 どのくらいの期間が必要なのですか。
榊田 LNGプラントの製造は大型投資で、FID(最終投資決定)から完成まで4、5年はかかります。またガス調達先とも15~20年の長期契約が必要です。ですから、そう簡単には増やせません。
佐藤 日本の場合は、ロシアのサハリン2からのLNG輸入を続けています。岸田総理のお膝元の広島ガスが長期契約を結んでいますし、ここを死守することは政府の方針となっています。
榊田 私どもはロシアでは二つ、LNGプラントを手掛けており、その一つがサハリン2でした。2009年から稼働していますが、そこに思い入れのある社員がたくさん残っています。
佐藤 あそこは太平洋戦争前、日本が開発した油田です。
榊田 稚内から目と鼻の先ですから。一帯の油田は、戦前に日本が開発して、その後、ソ連が引き継ぎました。
佐藤 ロシアでのもう一つのLNGプラントはヤマル半島ですか。
榊田 その通りです。ここはプラントが完成し、その保証期間が終わるか終わらないかの時期に、ウクライナへの侵攻が始まりました。ですからお金の回収は済んでいた。その点はたいへん助かりました。
佐藤 北極海に面しているため、ヤマルは長らく手つかずの場所でした。でもトルクメニスタンと同じように、ガスのじゅうたんの上に乗っているような場所です。埋蔵量はロシア最大といわれています。
榊田 同じエンジニアリング会社の日揮さん、フランスのテクニップ社と作ったのですが、北極海リスクといいますか、建設リスクがものすごくあり、初期投資は相当にかさみました。ですから、完成までこぎ着けることができて、本当によかった。
佐藤 ロシアの駐日大使だったアファナーシェフさんが、その事業会社に再就職しています。これを見ても、将来性があることが分かります。
榊田 一方で、ヤマル半島の東にあるギダン半島のLNGプラント「アークティック2」は、建設中に戦争になってしまいました。ここに私どもは参加していません。
佐藤 ヤマルのLNGプラントを日本の企業が作ったことは非常に大きな意味を持つと思います。今後もメインテナンスで関わり続けるでしょうが、戦争が終わった際には、日本のエネルギー戦略上、重要な位置を占める可能性があります。
榊田 そうかもしれません。
佐藤 東西冷戦時代、外務省はソ連からのエネルギー調達の割合を3割まで、とみていました。アメリカはそこまでなら文句を言ってこないだろうと考えた。その基準はいまもどこかに残っているでしょうから、将来、ヤマルからある程度の量を輸入する可能性は大きい。
榊田 あのプラントは今後、隆々と伸びていくと思いますね。
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