「清原和博」はバットを投げつけ、「達川光男」は審判を騙そうとした…プロ野球、死球を巡る“人間ドラマ”
痛みをこらえて「当たっていない!」
9月19日の阪神対DeNAで、3死球を受けた岡田彰布監督が怒りをあらわにするなど、今季も死球をめぐるトラブルが相次いでいる。そして、過去にも死球をめぐるさまざまな人間ドラマが演じられてきた。【久保田龍雄/ライター】
【写真を見る】巨人時代の清原の脇腹にボールがめり込む“決定的瞬間”
死球を受けたのに「当たっていない!」といつもと正反対のアピールをしたのが、広島の捕手・達川光男である。
1990年5月24日の阪神戦、0対3の4回、小早川毅彦のソロで1点を返した広島は、なおも三ゴロエラーと山崎隆造の二塁打で無死二、三塁と一打同点のチャンス。この場面で打席に立ったのは、8番・達川だった。
直後、阪神の先発・猪俣隆の投球は、達川の足元でバウンドする暴投になる。捕手・岩田徹が後逸する間に、三塁走者・アレンが2点目のホームを踏んだかに思われた。
ところが、ボールは達川の左足に当たっており、明らかに死球。にもかかわらず、達川はアレンの生還をアシストするため、痛みをこらえながら「当たっていない!」と必死にアピールした。
ふだんの達川は当たってもいないのに「当たった、当たった!」とアピールし、演技で勝ち取った死球も1度ならずあるのに、状況によって、言うことが変わるのは、“グラウンドの詐欺師”ならでは?
だが、日ごろの行いが災いして、演技と見抜かれてしまい、死球が宣告された結果、2点目は幻と消えた。死球で親指の爪が割れた達川は、出塁後、代走と交代し、無念の表情でベンチに下がっている。
マウンドに向かってバットを投げつけた「死球王」
NPB歴代トップの死球王は、清原和博(西武→巨人→オリックス)の「196」。
阪神・藪恵壱に対する「今度来たら顔を歪めたる」発言や、オリックス・山口和男の頭部死球に怒り、「こっち来て謝れ!」と咆哮したシーン(いずれも巨人時代)など、死球をめぐるエピソードは数多い。その中でもファンの記憶に最も残っているのは、西武時代の1989年9月23日のロッテ戦で起きた“バット投げ事件”で決まりだろう。
7対0と西武がリードした4回2死一、二塁、この日3度目の打席に入った清原は、平沼定晴の初球が左肘を直撃すると、「(前の打席で満塁本塁打を打たれたので)狙っていたような顔をしていた」と激高し、マウンドに向かってバットを投げつけた。そして、バウンドしたバットのグリップの部分が平沼の左太ももに当たった。
「避けられない球ではない。あいつが悪い」と平沼も怒りをあらわに突進すると、清原も走り寄って右膝蹴りをお見舞い。2メートルも吹き飛ばされた平沼は、直後、憤慨のあまり、グラブをスタンドに投げ入れた。
ここからロッテナインの大逆襲が始まる。暴行の直後、自軍ベンチに逃げ帰ろうとした清原を田野倉利行コーチが捕まえると、“ランボー”の異名をとる怪力自慢のディアズがヘッドロックをかけ、あっという間に乱闘の輪が広がった。
この騒ぎで平沼は体当たりされた際に左肩鎖部も痛め、2週間の安静加療が必要と診断された。
一方、騒ぎを起こした清原はプロ4年目で初の退場処分を受け、制裁金30万円と2日間の出場停止が科せられた。「申し訳ない。何と言われても仕方ない。バットを投げたことに一番心が痛む」と反省しきりの清原だったが、連続出場が「490」でストップし、チームも最後の最後で近鉄に逆転され、V5を逃すなど、失ったものも大きかった。
西武打撃コーチとして清原をプロ1年目から開花させ、事件の4ヵ月前の89年5月に不祥事で退団した土井正博氏は、清原がその後の野球人生でも死球禍に苦しんだことから、「今でも申し訳ないと思っているのは、デッドボールの避け方を教えられなかったこと」と回想している。
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