「マツコ会議」終焉の原因はマツコ・デラックスのムダ遣い!? 露呈した繊細さ至上主義の風潮との相性の悪さ

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

やたらと増えた「実は泣いてます」話 支持を集めるのは「サバサバ」女子から「メソメソ」女子へ?

 近年、弱みを見せることに積極的な流れのひとつとして、「泣きながらご飯を食べた」経験を語るタレントが増えた気もする。最近ではMEGUMIさんが、金沢でカフェを開業した時に「泣きながらお弁当を食べていた」と語り話題に。美容仲間の田中みな実さんも、美容のために「(2合のおかゆを)泣きながら流しこむ」とテレビで話していたこともある。

 和田アキ子さんも同時期、手術後も抱える体の不調に、「なんか食べながら泣いてる」とラジオで弱音を吐き、広瀬アリスさんは4月の番組で、「食べちゃいけないのに食べちゃうからもう泣きながら」と精神的に追い詰められたダイエット経験を明かした。

 全員に共通するのは、「強い女」というイメージだ。背景はさまざまだが、人前では泣けない負けず嫌いさやストイックさが伝わる。ただ和田さんや広瀬さんのような心身の不調は別として、「私って実はこんなに弱くて不器用なんです」と言いたいように思えなくもない。

 それは「マツコ会議」で、弱い一面を話したがるゲストたちにも通じる。平成は「サバサバ」女子がもてはやされていたが、今は「メソメソ」女子の方が共感を呼ぶのかもしれない。鈍感な強者よりも、繊細で傷つきやすい人間でありたい。だから泣いてしまったことは隠さず語りたい。泣ける経験が欲しい。それは「異常者」を良しとしてきた従来のテレビやマツコさんからは、大きく隔たりのある価値観ではないだろうか。

社会不安を象徴する「泣きながらご飯を食べた人は」への共感 最も繊細なマツコの持ち味を殺す繊細さ至上主義

 マツコさんもトークの流れで、泣いた話を明かしたことはある。大失恋や、不意の転倒で老化を感じた時のこと。ゲストの涙にもらい泣きというシーンもあった。でも、ただの苦労話にはしない。あくまでも客観的に、情けなくみじめな、世間一般の規範から外れたアウトローの悲哀という視点で語る。

 少し前に坂元裕二さん脚本のドラマで、「泣きながらご飯食べたことある人は、生きていけます」というセリフがあった。元ネタはゲーテの「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」かと思うが、当時大きな反響を呼んだ。それだけみな、食事どきにひとり涙をこぼすような苦しみを抱え、誰かに「大丈夫よ」と励まされたがっているということなのだろう。

 成功者たちが語る、「泣きながらご飯を食べた」経験。彼女たちの姿に勇気をもらう人は多い反面、「泣いた」「泣ける」話がありがたがられる繊細さ至上主義の世の中では、マツコさんのような異能のテレビタレントは輝きを失ってしまう。以前から引退も示唆していたが、ロバート秋山さんや友近さんら「異常者」たちと、楽しそうにかけあいをしていたマツコさんが懐かしい。

 泣いたことを声高に話さずとも、マツコさんの偽悪的な言動に、最も繊細さを感じ取るわたしのような視聴者は少なくないはずである。10月からまた別の冠番組が始まるというが、マツコさん本来の繊細さが生きる企画であることを願うばかりだ。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。