「根性論はアカンけど根性は大切」 ラグビー平尾誠二に薫陶を受けた平尾剛が明かす名言(小林信也)
「ミスター・ラグビー」と呼ばれた天才・平尾誠二は2016年10月20日、53歳の若さで天に召された。
これまで多くの人が平尾を語っている。私は今回、平尾に薫陶を受け、研究者として活躍する元ラグビー日本代表・平尾剛(神戸親和大教授)の語る平尾誠二の一面を紹介したい。
「研究者になったのも、平尾さんのおかげなんです」と剛が言う。「親交のあった神戸親和女子大(当時)の理事長から、『誰か大学で勉強したい選手はおらんかな』と聞かれた平尾さんが、『おりますよ』と、私を紹介してくれたのです」
初めて誠二と会ったのは剛が同志社大4年の時。
「平尾さんが神戸製鋼のリクルーターとして、私を誘いに来てくださったんです」
京都で4、5回、すしなどのもてなしを受けながら勧誘を受けた。
「数社から誘われましたが、他はすべて『ウチに来い』と言うだけ。平尾さんは違いました。会社の説明は15分で、あとは最近読んだ本の話だとか、私の拙い話を『それ、オモロイやないか』と聞いてくれた。フラットに話せる、こんな大人がいたんやなと驚きました」
短所は長所?
実は剛は、それほど引かれた誠二の誘いを断って、関西Aリーグ下位の三菱自工京都に入社する。
「高いレベルでやるには線が細すぎる、選手として自信が持てなかったから」
剛は、引退後も多くの先輩が会社に残り要職に就いている進路を選んだ。
ところが、就職してすぐ、日本代表に選ばれた。ラグビーで活躍できる可能性が広がり、がぜん、ラグビーへの意欲が高まった。
「そうはいっても、同期の大畑大介のような圧倒的なスピードもない」
悩んでいる時、鋭い一言で眼を開かせてくれたのが代表監督の誠二だった。
「キミは自分の長所がわかっているか?」
突然の言葉。剛は痛いところを突かれた。まさに自分が悩んでいる核心だった。誠二はすぐ続けた。
「キミはすべてのプレーをソツなくこなす。そこが長所や」
えっ? 剛は戸惑った。それが自分の短所だと思っていた。なのに、そこが長所だと誠二は言った。
他チームの選手なのに、突然電話が来たこともある。
「いまちょっと悩んでるやろ。落ち込んでるな。飲みに行こうか。新幹線に乗れば、神戸まですぐやろ」
誠二が自分を見ていてくれることに感激した。選手の内面を感じる繊細さにも驚いた。ちょうど社会人1年目が終わる頃、剛は京都から新幹線に飛び乗った。
「神戸のすし屋で、代表と自チームのレベルの差に悩む胸の内を明かしました」
少し考えて誠二は答えた。
「いまならまだ採れるよ。でも時間はない、1週間で決めてくれ」
こうして剛は神戸製鋼に移籍し、誠二との濃密な師弟関係が始まる。
「平尾さんには辛い時代もあったはずなんです」と剛が思いをはせる。「内向きのラグビー界で、平尾さんは当然のように外に向けた発信を考えていた。それで協会からバッシングを受けることも多かったから」
大学時代、ファッション誌の表紙になった。それがアマ規定に触れ、出場停止処分を受けたこともある。
1997年、誠二は日本代表監督に就任した。「10年は任せる」と約束されながら、欧州遠征で惨敗が続くと責任を取らされ、00年11月、辞任を余儀なくされた。外国人アンドリュー・マコーミックを日本代表に据えるなど、先を見越して進めた施策のひとつひとつが保守的な協会首脳には不人気だった。
「しばらく協会の仕事はしない」と言い、自分の発想での改革に専念した。NPO法人SCIXもそのひとつ。学校にラグビー部のない子どもにプレーの機会を提供するクラブ。中高生、社会人、女子チームも作った。いま部活動の地域移行がテーマになっている。誠二は20年以上も前にそれを発案し、実践していた。
「会話の主語はいつもスポーツでした。ラグビーじゃなくて。『スポーツは文化や。スポーツから得られるものはたくさんある』って」
[1/2ページ]