「アントニオ猪木さん」没後1年 失業危機!?「モノマネ芸人」現在の仕事量と、解禁された“燃える闘魂”カリスマ秘話

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「歴史的偉人の中に並ぶようになって欲しい」

 ハナからダメだと決めつけず、どんな物(人)でも活かせる可能性を探し、“負”のものなら“正”へと変えて自らの力として取り込む。猪木さんの人間としての器の大きさ、発想の大胆さを物語る話であり、魅了される経営者がいるのがよくわかる貴重なエピソードだ。

 死後にこれほど強烈な逸話が出てくるあたり、さすが猪木さんといったところだが、実は2人には気になっている問題がある。若者には猪木さんの存在自体を知らない人も多いのだ。小猪木はあるショッキングな光景を目の当たりにし、若い世代に猪木さんについて伝えていこうと決意したという。

「飲み屋などで僕が“ダー!”とやっていたら、隣のテーブルの大学生ぐらいの人たちが“ポカーン”としていたことがありました。若い人には知らない人も多い、これが現実です。猪木さんの存在、偉大さを若い世代にいかに伝えていくかも自分のひとつの課題です。さらに言わせて貰えば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、坂本龍馬……。そういう歴史的偉人の中に並ぶようになって欲しい。歴史の教科書に出なくても“猪木って相当すごい人だったんでしょ”という認識が広がって欲しいんです」

 若い世代が猪木さんを知らない問題については、アントキのも実感し、すでに行動している。

「たまたま知り合ったZ世代の人たちと話していたら、猪木さんのことを全然知らないんです。ただ、その場で検索して調べ、すごく興味を持ってくれた。彼らはITの技術を持っていますから、デジタルの世界で闘魂を注入した経営術を広めるなどビジネスの話をしています」

 猪木死しても志は死なず。

 残した言葉やスピリットは、この2人をはじめとする猪木モノマネ芸人、猪木ファンの会社経営者、そして市井の数多いるファンを通じて、これからも受け継がれていくのだろう。

※1990年2月、新日本プロレス東京ドーム大会、アントニオ猪木・坂口征二組vs橋本真也&蝶野正洋組の試合前の控え室で発した言葉。「負けるということがあれば」というアナウンサーの質問にこう答えてビンタを放った。

華川富士也(かがわ・ふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。現在はフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町、昭和ネタなどを得意とする。シリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

デイリー新潮編集部

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