高2で欽ちゃんと同居、イモ欽を経て俳優、結局「お前、3億円損したよ」と言われ…ワルオ「西山浩司」が語った芸能生活50年

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欽ちゃんにはなれない

西山:いくらデカい音を出してもいいようにと、鉄筋3階建ての家をまた買っちゃったんです。広くなった家には、テレビ局のスタッフが入れ替わり立ち替わりやってくる。そこでお茶を出したり、灰皿を変えたりするのが僕の役目でした。

――内弟子とも違う不思議な共同生活だ。

西山:そうですね。芸を教わるでもなく、萩本さんと4年間、一緒にいました。萩本さんはお酒も飲みませんから、2人で語り合うようなこともなかったし、僕はレギュラーの仕事以外は学業優先でした。「卒業しなくてもいいから大学には行っとけ」と言われて大学にも進学しました。言われたとおり、中退しちゃいましたけど。萩本さんの家を出た後に始まったのが「よい子悪い子普通の子」でした。出演時のプレッシャーはお話ししましたが、その頃から僕は役者になりたいと思うようになったんです。

――もちろん、萩本に相談した。

西山:「ウソでもいいから、欽ちゃんみたいになりたいと言って欲しかった」と寂しそうな顔をしておっしゃいました。

――どれだけ期待されていたのだろう。

西山:僕の運動神経、動きを認めてくれたそうです。教わったものでもないのに、素早く動く中に、きちっと止めることができていたそうなんです。それがないと舞台映えしないんだそうです。だから、萩本さんから天才と言われたこともある。でも、僕は萩本さんの側に居すぎたのかもしれない。欽ちゃんファミリーの中でも一緒に暮らしたという人はいないと思います。僕は4年も一緒にいて、朝までネタ作りに悩んでいる萩本さんを見てきました。とても、あんなふうにはなれないと思いましたもん。

「太陽にほえろ!」

――「よい子悪い子普通の子」に出演しながら、西山はドラマに出演する。

西山:池内淳子さん(1933~2010)主演の「はまなすの花が咲いたら」(TBS)をきっかけに、水谷豊さん(71)主演の「あんちゃん」(日本テレビ)では豊さんの弟役に。豊さんから役者としての考え方を教わりました。

――1985年5月、「欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」が終了。翌年8月からは刑事ドラマ「太陽にほえろ!」(日テレ)のレギュラーに。

西山:あの「太陽にほえろ!」ですよ。嬉しかったですね。

――72年にスタートした「太陽にほえろ!」では、西山の役名は太宰準(通称・DJ)だった。萩原健一(1950~2019)演じる早見淳(マコロニ)、松田優作(1949~1989)の柴田純(ジーパン)、勝野洋(74)の三上順(テキサス)、山下真司(71)の五代潤(スニーカー)、渡辺徹(1961~2022)の竹本淳二(ラガー)と続く、七曲署の新人刑事として由緒正しい「ジュン」のつく役名だ。

西山:張り切り過ぎたせいか、6本撮ったところで髄膜炎になってしまいました。のたうち回るほど頭が痛くて、緊急入院して2週間は面会謝絶。ようやく病院から現場に行けるようになったけど、まともに歩くこともできない。おかげで主役の予定だった2時間スペシャルは、又野誠治さん(1960~2004)の澤村誠(ブルース)になっちゃった。

――さらに「太陽にほえろ!」の打ち切りが決まった。

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