沖雅也 衝撃の死から40年「おやじ、涅槃で待つ」と言い遺した名優の人間性とは
その死はあまりにも衝撃的でした。「おやじ、涅槃で待つ」との遺書を残し、31歳で生涯を終えた俳優・沖雅也(1952~1983)。「太陽にほえろ!」(日本テレビ)のスコッチ刑事はじめ、「必殺」シリーズ(朝日放送)や「俺たちは天使だ!」(日テレ)など数々のドラマに出演、人気絶頂の最中で何が起こったのか? 朝日新聞編集委員・小泉信一さんが、様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。クールでダンディな印象が強烈に残る名優の人生に迫ります。
スコッチ刑事
マカロニ、デンカ、ゴリ、テキサス、ロッキー…。
1972(昭和47)年に始まったテレビドラマ「太陽にほえろ!」に登場する刑事には、それぞれユニークなニックネームが付いていた。松田優作(1949~1989)が演じたジーパン刑事・柴田純もそのひとり。男に撃たれ、「な、な、何じゃ、こりゃー」と手に付いた血を見て叫び、殉職を遂げるシーンは、今も語り草の名場面である。
当時、私は小学生。「男っぽいなあ~」と毎回胸を躍らせながらドラマを見ていた。
中でも気になる刑事がいた。若いがキザなスコッチ刑事・滝隆一。「ダンディー」という言葉が似合う刑事だった。1976年9月10日放送の第217話から登場した。
三つ揃いの英国製スーツに身を固め、ワイシャツの襟はどこまでも高く、煙草は高級サン・モリッツ。紅茶を愛する紳士である。だが、初日から遅刻し、同僚に挨拶すらなく、上司の命令も無視。一方、犯人を容赦なく追い詰める非情な男でもあった。自分の感情をあまり表に出さないクールな男と言えるだろう。
演じたのは沖雅也。「甘いマスク」だが冷たいスコッチ刑事の内に秘めた「優しさ」を表現するのに、ぴったりな顔立ちだったのではないか。沖は当時24歳。「太陽にほえろ!」という超人気ドラマでの難役を見事に演じたと言えるだろう。
将来が楽しみな役者だった。
だが、1983(昭和58)年6月28日、沖は東京・西新宿の高層ホテルから身を投げ、31歳の生涯を終えた。最上階(47階)の非常口バルコニーにいた沖を警備員が発見し、「危ない」と声を掛けたが間に合わなかったと言われている。
いずれにしても、あの日、何があったのか、当日の朝日新聞夕刊をもとに3日前から振り返る。
「おやじ、涅槃で待つ」
6月25日……昼間、大阪で女性ファンの集いに出席。その後、帰京。義父と一緒に自宅でテレビを見て、夜11時過ぎに就寝したという。
26日……朝、沖がいないことに義父が気づく。沖が西新宿のホテルに泊まり始めたのはこの日かららしい。チェックインした際は偽名だったと言われている。
28日……飛び降りは午前5時ごろか。泊まっていた部屋から義父宛に書かれた遺書が見つかる。ホテル備え付けの便箋1枚に「おやじ、涅槃で待つ」。
同日朝……新宿警察署からの連絡を受け、同署に義父が駆けつける。詰めかけたマスコミに、「仕事でも何でも、とことん突き詰めて考える性格だった。一時、すごく落ち込んだことがあるので、精神科の医師に診てもらったことあるが、最近は思い当たる節はない」と涙ながらに語ったという。
「思い当たる節はない」と義父は言ったが、テレビ関係者によると全く別の話が出てくる。
2年ほど前に極端に塞ぎ込んで交通事故を起こし、自殺未遂ではないかと騒がれたこともあった。事故は東名高速道路で発生。中央分離帯のノリ面に乗り上げて横転。沖は愛車のキャデラックを運転し、両足首に2週間のけが。
このころ、精神状態が不安定になり、仕事を休むこともあったそうだ。朝日新聞は当時、テレビ「必殺」シリーズで共演した俳優・藤田まこと(1933~2010)のコメントを掲載している。
藤田は沖がデビューしたころを振り返り、「若くてキラキラ輝いた役者さんが出てきたな」と思ったという。その一方で、「芝居で悩みを抱えていたようだった。話の途中で立っていったり、映画の話をしていたかと思うと公演の話になったり、話に一貫性がなく、ヘンだと思ったこともある」とインタビューに応えている。
沖の死は芸能界に大きな衝撃を与えた。歌手の八代亜紀(73)が以前、私の取材に応じてくれたのだが、1週間前にテレビの生放送で共演したばかりだったという。
「動揺してしまい、自宅の階段を下りようとして足を踏み外し、転げ落ちてしまいました。ダダダダーンという大きな音と共に、腰を強く打ち、強い痛みが走りました。でも、その日はテレビの歌番組の仕事があり、しかも生放送でした。キャンセルはできません。痛さを我慢して出演しました」
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