「何かのために絵を描くわけではない」 横尾忠則が自転車で転んでけがをした日に悟ったこと

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 毎週書いているこの欄のエッセイのテーマが見つからない時があります。もともと目的があって書くわけではなく、「エッセイは奇妙さや無作為や多重性」(トム・ルッツ)という無目的性だそうなので、絵を描くように脱線していいのだけれど、やっぱり車輪がレールに乗っかっている方が、走りやすいですね。

 そんなことをぼんやり考えながらアトリエに向かうつもりが、家の門の前で自転車に乗ったまま転倒してしまいました。まあ軽度の全身打撲ですが特に腰を強く打ったようです。丁度、この日の午前中に病院に定期検査に行く予定だったので、用件がひとつ増えたというわけです。

 1年前に急性心筋梗塞でカテーテル手術を受け、その後の経過を今も診てもらっているのですが、すでに普通の人の心臓よりうんと良くなっているそうで、心配はありませんでした。逆に以前からその兆候のあった糖尿病のデーターが採血の結果、過去の数値よりやや悪くなっていました。食事制限をして体力を落とすと糖尿病より危険ですし、薬を始めていいレベルになっているのでいよいよスタートです。

 悪化の理由は内臓の力が落ちてきて血糖値を下げる力が弱っていることだと考えられるそうですが、その内臓の力が落ちた理由を聞きそびれました。コロナ禍での運動不足が原因ではないかとは僕の自己診断ですが、今度、聞いておきましょう。まあ加齢と共に日々体力が落ちていることは確かなので、若い頃と同じような体力は期待していません。

 さて、腰の打撲が気になるけれど、骨折ではないと思うので、湿布での対応を、僕の方から提案することにしました。病気の治療は医師と患者のコラボだと思っているので、たまにこちらが主導権を取る場合もあります。

 内科の先生の診察のあとは、外科手術を終えて一服しておられた名誉院長さんの部屋を訪ねて、しばらく雑談を交しました。その後、院内レストランで、先っき説明された食事療法に従って、たっぷりのサラダとチャーハン半分を食べてアトリエに戻りました。まだ腰が痛むので湿布を貼って、ソファーでしばらく横になって、描きかけの150号サイズの絵を眺めているとキャンバスから、「今日は描くのか、描かないのか」と催促するのが聞こえてくるような気がしました。そこで、「この腰では描けるはずないだろう」と答えて、問いかけるキャンバスの口を封じました。

 腰を理由にして描かないけれど、実際は描けないのです。途中まで描いたものの、その先きをどうしていいかわからない状態で、実はギブアップしているのです。まるで禅の老師から公案(曹洞宗には公案はないけれど臨済宗にはある)を突きつけられているような状態で身動きが取れないのです。禅寺に参禅していた頃は、僕は修行者の雲水ではないため公案を与えられるということはなく、実際には公案の問答の様子はよくわかりません。聞くところによると、禅寺では、どうしても行き詰まった状態の時は、庭の作務(掃除)でもしなさいと言われて、掃いても掃いても落ちる銀杏(いちょう)の落葉を掃かされるそうです。掃いた尻から葉が落ちてくるので、キリがない。何んと馬鹿馬鹿しいことをさせられるものだろうと、ついに文句を言いに老師を訪ねると、

「掃くことが目的です。次々と葉が落ちてくるでしょうが、まあ何も考えないで掃いて下さい」

 まあ、何んと理不尽な話でしょう。つまり掃くことによってきれいにする、という目的はないのです。常識では掃除の目的はきれいにすることですよね。ところが禅寺では、そうではないのです。エッセイに目的がないように、掃除にも目的がないのです。たった今、やっているその行為自体に目的があって、彼方に目的があるのではないのです。ヘェーです。じゃあ目的もなく、小さい子供が好き勝手に遊んでいることと同じではないのか、「アッ!」そうか、そういえばまるで絵と同じではないのか? 考えてみれば絵には目的はありません。描きたいから描いているわけで、何々のために描いているわけではないのです。そうか、そういう考え方は正に輪廻転生なんですね。

 今日一日は、門の前で転倒して、転倒とは無関係に病院へ行って、心臓は見事に回復したけれど、逆に糖尿の数値が悪く、今後の食生活を中心に、戦わない戦いによって、糖尿から回復する楽しみがひとつ増えたと思いましょう、そんな雑念にあれこれ振り廻された一日でありました。このように脱線を繰り返しながら、行きあたりばったりでエッセイが一本書けてしまいました。絵と同じように目的もなく、思いつくまゝ、あれこれ意味のないことを指先きのペンにゆだねて、なんとか原稿用紙5枚に到達して、ホッとしています。これからもテーマのない時は、その日の出来ごとを日記を書くように書けばいいんだと、悟りました。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2015年第27回高松宮殿下記念世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。22年度日本芸術院会員。

週刊新潮 2023年9月28日号掲載

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