遭難に至る道は、すぐそこに潜んでいる――身近な低山でも起きている山岳遭難のリアル
山での遭難事故というと標高の高い山を思い浮かべがちだが、実は「低い山」で遭難するケースも相次いでいる。
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「山に出かけた家族が、帰ってこない――」
民間の山岳遭難捜索チームLiSS(リス)のメンバーと代表の中村富士美氏は、思いも寄らない事態に戸惑う家族から依頼を受け、山へ捜索に向かう。中村氏は、独自の視点で捜索活動を行うのみならず、その家族のサポートも担っている。
登山経験がほとんどない看護師だった中村さんが、どうして山に導かれ、いくつもの遭難現場に立ち会うことになったのか、そのたきっかけを著書『「おかえり」と言える、その日まで 山岳遭難捜索の現場から』をもとにみてみよう(引用はすべて同書より)。
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「どうして、こんな身近な里山で大けがをするのだろう?」
東京都内でも登山スポットが多く存在するエリアの総合病院。そこで救命救急センターの看護師をしていた私は、搬送されてくる登山者を見て、ずっと不思議に思っていた。
ほとんど山に登ったことのなかった私にとって“けがをしたり、命の危険性がある山”といえば、北アルプスやマッターホルンなどの高く、険しい山だった。プロの登山家が、エベレストを登っている最中に命を落とすといったニュースはしばしば目にしていた。けれども、地元の一般登山道で大きなけがをするだなんて……なかなかイメージがわかなかった。
ニュースにもならない“身近な山”での遭難
山の何が危険なんだろう?
そんな疑問を持っていた2011年の夏のこと。私は事故などで外傷を負った人に対する救急対応についての講習会にインストラクターのひとりとして参加していた。受け持った受講生の中に、山岳救助に携わる男性がいた。
私は普段から疑問に思っていたことを聞いてみた。
「どうして、人は山でけがをするのですか?」
すると「中村さん、百聞は一見に如かずですよ。現場を見たいなら、連れていきますよ」とおっしゃるではないか。
「え? 行ってみたいです」
その一言から、私は山に導かれた。そしてそこから、いくつもの「遭難」の現場に立ち会っていくこととなる。
山岳遭難とは、山の中で生死に関わるような危難に遭遇し、自力で下山できない状況のことを言う。そのきっかけは、道迷い、滑落、転倒、けが、急激な天候の変化、雪崩など様々だ。
私が2018年に立ち上げた捜索団体・山岳遭難捜索チームLiSS(Mountain Life Search and Support)は、登山中に何らかの理由で遭難をし、自身の居場所を伝えることができないまま、行方不明となってしまった遭難者(行方不明遭難者)を捜索する活動を行っている。メンバーは10人前後。私のような医療者や山のガイドなどが参加している。
私たちへの捜索依頼のほとんどは、地元の里山や低山に行ったまま帰ってこない、という事案だ。レジャーのつもりで週末に出かけただけなのに、山から帰ってこない……。そうしたケースはほぼ、ニュースにもならない。しかし、身近な山では、実際に起きている。
ほんの小さなきっかけから起きる「遭難」
いつだって「えっ、たったそれだけのことで?」と思ってしまうほど、本当に小さなきっかけから遭難は起きる。
友人が撮ってきた山の風景写真を地図がわりに持って登山に行ったが、季節の変化で山の様子が変わってしまっていて、道に迷った。
風で向きが変わった道案内の看板を信じて進んでしまった。
暗くなった山中で、足を踏み外して滑った……。
そんなささいなきっかけが、行方不明遭難の第一歩となってしまうのである。
今も、どこかの山には家に帰れずにいる人が助けを待っている
私たちの依頼主のほとんどは、彼らの帰りを待つご家族だ。
どうして連絡がつかないのか、本当に登山に行ったのか、どこかで元気に過ごしているんじゃないか……。それまで体験したことのない出来事を前に、どうしたらいいのか分からず、混乱を抱えてご家族は私たちのもとに来る。
LiSSでは、ご家族から遭難者本人の性格や出かけた際の持ち物を聞き取り、登山の仕方や遭難者の人柄といった様々な背景をプロファイリングして、足取りをたどる。ご家族を通して遭難者本人のことを知るのである。
そのため、私たちのもうひとつの重要な役割は、途方もない苦しみの最中にいるご家族を精神的に支えることである。生存発見できるのが一番良いが、季節や捜索依頼の時期によってはその可能性は低くなる。捜索隊として、ご家族と時間を共有する私たちだからこそできる支援をしたい、と考えている。
今も、どこかの山には、家に帰れずにいる人が助けを待っている。その人たちを迎えに行くために、私たちは今日も捜索を続ける。
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※『「おかえり」と言える、その日まで―山岳遭難捜索の現場から―』より一部抜粋・再構成。