土屋品子復興相と政策秘書の“危ない関係” 「ホテルの部屋で二人で過ごしたと聞いている」
女性議員の少なさから大臣候補の人材不足が叫ばれる中、8期生になってようやく初入閣となったのが、土屋品子(しなこ)復興相(71)である。なぜ彼女の入閣は遅れたのか。その陰に彼女と“禁じられた遊び”を続ける政策秘書の存在があった。
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「地元での彼女のあだ名は“何もしな子”なんです。何もしない、何もしてくれない。悪い人じゃないんだけど、やる気がないんでしょうねえ」
と初入閣の吉報にもかかわらず、ため息をつくのは、土屋大臣の地元・埼玉県の市議である。
料理研究家として活動した過去を持ち、YouTubeで料理の動画も配信する彼女は春日部市などを含む埼玉13区選出。父で元埼玉県知事だった故・土屋義彦氏はかつて世間を騒がせた人物でもあった。
参院議長だった義彦氏は1992年に埼玉県知事に就任。以降、「土屋王国」と呼ばれるほど独裁的な体制を築くが、2003年、スキャンダルが発覚する。義彦氏の長女が政治資金を私物化し、政治団体への寄付金約1億1300万円を政治資金収支報告書に記載しなかったとして、東京地検特捜部に逮捕されたのだ。
これがきっかけで、義彦氏も県知事を辞任。王国は脆くも崩れ去ることになった。この長女の妹、つまり義彦氏の次女が土屋大臣である。
公然と語られてきた“二人の関係”
彼女は96年に初当選。父のスキャンダルに見舞われた後も、譲り受けた事務所スタッフや後援会組織を稼働させ、当選を重ねてきた。
しかし、入閣適齢期を過ぎても一向に大臣になれなかったことで、本人も周囲に「私は大臣なんてなれない」と吐露していた。実はこれまで入閣できない原因の一つとして取り沙汰されてきたのが土屋大臣の9歳下の政策秘書との“関係”だ。
地元政界関係者によれば、
「その秘書は会社勤めをしながら、品子事務所に出入りするようになり、20年ほど前に品子さんたっての希望で秘書に就いたんです。品子さんは独身、彼は妻子持ちなんですが、当初から“品子さんとデキている”と、二人の関係は公然と語られてきました」
先の市議が後を受ける。
「その秘書と品子さんはまさに一心同体。地元の選挙でも秘書が支持する候補を応援しないと縁を切られてしまう。彼の横暴でお父さんの代からの支援者は離れてしまいました」
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