猿翁逝く 48年の思いを貫き「藤間紫」と60歳で結婚 香川照之と復縁し歌舞伎役者にするまでの全舞台裏
78歳で「結婚」欄、85歳で「墓碑銘」に
週刊新潮の長期人気連載に「結婚」欄と、「墓碑銘」欄がある。文字通り、新婚カップルの紹介と、逝去したひとを追悼する欄だ。さらに「私の週間食卓日記」も1997年からつづく人気記事である。各界著名人が、この1週間、どこで誰と何を食べたのかをレポートする、とても楽しいページだ。
この3つの人気記事すべてに登場した女性がいる。日本舞踊家・女優の藤間紫(1923~2009)である。
しかし……グルメ記事はわからないでもないが、「結婚」と「墓碑銘」の両方に登場するとは、少々不思議ではないだろうか。「結婚」欄が2001年7月19日号、「墓碑銘」欄が2009年4月9日号。その間、足かけ9年しかないのだ。よほどの晩婚か、早世か……。
要するに藤間紫は、超晩婚だったのである。なにしろ「結婚」欄の時点で、すでに78歳! そして「墓碑銘」欄では享年85。新郎は、いうまでもなく、先日亡くなった市川猿翁(三代目市川猿之助)で、入籍時60歳だった。
この藤間紫こそ、前編で述べた、猿翁をめぐる一連の出来事の陰の主役である。しかも、2009年に逝ってなお、まるで人形遣いのごとく、黄泉の国から現世を操っているとしか思えないのである。では、その“現世の操り人形”とは、誰だったのか……。その前に、まず藤間紫とはいかにすごい女性だったのかを知っておく必要がある。
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