「絆會・織田代表」ボディガードの7回忌 3代目弘道会・野内組傘下組織で開かれた法要

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井上組長から放たれたヒットマン

 指定暴力団・絆會の織田絆誠代表がヒットマンに襲撃され、身代わりとなったボディガード役が亡くなったのは2017年9月のこと。このたび7回忌法要が開かれたという。この命日から現在のヤクザの状況が読み取れるようだ。

 まず、当時の経緯を振り返っておこう。

 神戸山口組の立ち上げに参画したものの、井上邦雄組長の組織運営に不満を持っていた織田代表は2017年4月に組織を脱退し、その実態を激烈に批判していた。井上組長は織田代表を山健組内で特に評価し、将来の組長候補と見ていただけに、この裏切りを「看過し難い」と捉え、織田代表側へヒットマンを放った。その際に、織田代表の身代わりとなってボディガード役の楠本勇浩組員が射殺された。2017年9月12日のことだった。

 楠本組員は死後、組織内では「殉職者」として扱われ、二階級特進して「直参扱い」となった。

現場で手を合わせた神戸幹部

「楠本組員が仕えていた親分は西川純史組長でした。西川組長は織田代表に“カエシ(報復)をしたい”と伝えたのですが……」

 と、竹垣悟氏(元山口組系「義竜会」会長で、現在はNPO法人を主宰)。

「織田代表は“音を鳴らすな”、つまりカエシはするなと言い伝えたということでした。西川組長は不本意だったのでしょう。その後、織田代表のもとを離れ、6代目山口組に移籍したわけです」(同)

 移籍先は3代目弘道会・野内組(本部・岐阜市)で、現在は舎弟頭となり、2代目北村組を率いている。

「移籍後に、当時は神戸山口組傘下だった4代目山健組若頭を襲撃しました。望んでいたカエシを一応は果たしたと言えるでしょうか。このたびの7回忌法要も西川組長が取り行ったということです」(同)

 本来は故人に思いを馳せ、手を合わせる日なのだが、この命日に関していえば、昨年、ちょっとした騒動のきっかけにもなっている。

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