ラグビー・日本代表でイングランドを追いつめた男、プロレスラー「阿修羅原」の豪快伝説 天龍との出会いから“理想的な引退試合”まで

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全日本プロレスで出会った一人の男

「本当に田舎に帰るのか? もったいない」

 と、マスコミを通じて復帰を持ちかけたのが全日本プロレスのジャイアント馬場。原は同団体に、1人の選手を見初めた。天龍源一郎だ。天龍も“大鵬2世”と期待された角界エリートながら、大相撲を1976年に廃業(最高位は前頭筆頭)。26歳でプロレス入りしていた。

 全日本プロレスでの第1戦は、まさにその天龍戦。後に同じリングを闊歩し、ライバルとなった長州力に「どうせ壊れることのない頑丈な体だから、ガンガン行けた」と言わしめた天龍と、こちらも後に戦う橋本真也に、「俺の蹴りを受けて死んでも、あの人は立ち続けてるんじゃないか?(笑)」と評された阿修羅原である。

 試合は白熱の好勝負に。2人はその後も何度か戦ったが、特に1984年4月11日、大分県立荷揚町体育館における一騎打ち(19分38秒 両者リングアウト)について、原はこう振り返っている。

「あのイングランド戦と、近い感覚が味わえた」

 天龍との名タッグ「龍原砲」。実はその結成は、事前に道場で遭遇した際、原の方から天龍に声をかけたのが起因だった。

「最近、元気ないよ?  何かやるなら言って。俺も一緒にやるから。1人では限界もあるだろうし」

 この3ヵ月前、天龍のライバルだった長州力が全日本プロレスを離れ、果ては新日本プロレスに復帰。天龍は一時的にヤル気を失っていた。原はそれを気に病んでいたのだ。

 天龍が馬場の応諾を経て、タッグ発進となったわけだが、原自身はこの時の気持ちを、こう語ったことがある。

「本音は天龍とシングルでやりたい。でも、あっても年に1、2回。なら、組んで競い合う手があると思って」

 だが、何故だろう。筆者には、天龍をかばう原の姿ばかりが思い出された。天龍をカウベルで殴打しようとするハンセンとの間に割って入り、代わりに食らったこともあれば、場外で天龍にラリアットを見舞おうするハンセンにエプロンを駆け抜けてフライングタックルし、未然に防いだことも。

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