ラグビー・日本代表でイングランドを追いつめた男、プロレスラー「阿修羅原」の豪快伝説 天龍との出会いから“理想的な引退試合”まで

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プロレスラー阿修羅原の誕生

 プロレス入りは近鉄を退社し、まもなく31歳となる歳を超えた 1977年11月。国際プロレスへの入団だった。既に一男一女がいたが、会見で報道陣に「家族の反応は?」と聞かれると、言った。

「出がけに、『俺、今日からプロレスをやるから』と言っただけです」

 原の直情的な性格を知り抜いていた夫人は答えた。

「あぁ、そうですか」

 淡泊な実情に反して、周囲はこの金の卵に大盛り上がり。作家の野坂昭如や日本アマレス協会会長(当時)の八田一郎を中心に「原進を大成させる会」が結成され、野坂からは、「阿修羅原」のリング―ネームを頂戴した。原もそれに応え、アメリカ修行を終えた1981年4月には、ラガーマン時代より二回りはデカくなった、完全にヘビー級の体躯で帰国する。

 しかし、当の国際プロレスが同年8月に崩壊。団体は新日本プロレスとの対抗戦に活路を見出し、原も会見に出席した。ところが藤波辰爾との一騎打ちがラインアップされると、原はさっさと田舎に帰ってしまった。

 当時の藤波はジュニアヘビー級。後戻りを嫌う原の性格がよく出ていた。さらに言えば、求めていたのだ。前掲のイングランド戦のように、プロレスでも真っ白になれる試合を。

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