ラグビー・日本代表でイングランドを追いつめた男、プロレスラー「阿修羅原」の豪快伝説 天龍との出会いから“理想的な引退試合”まで
ラグビー世界選抜チームに選ばれた日本人
さる18日早朝、ラグビーW杯予選「日本vsイングランド」に胸躍らせた読者も多いだろう。とはいえ、結果は12対34の敗戦で、これで日本はイングランドに11連敗。ラグビー発祥の地でもあるイングランドに勝つのは、やはり遠い未来と思わされる向きもあったかも知れない。
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しかし、かつて、日本が同国を追い詰めた試合があった。あのイングランドが、80分間ノートライに終わったと言えば、その凄さがわかって貰えるだろうか。それは1971年9月28日、東京・秩父宮ラグビー場での一戦である。
1871年、ロンドンにラグビー協会が設立されてから100周年を記念した遠征試合の一環で、4日前には大阪・花園ラグビー場で初戦。こちらが19対27で敗戦も、残り5分までは同点だったことから、28日の試合にはファンも一気に期待を寄せた。当日は、常設席は売り切れながら、それでも幾重にも会場を取り巻いた人々に、主催者がなんとグラウンド脇の芝生の開放を決定したほどだった。
ドラマ「スクール・ウォーズ」の“泣き虫先生”のモデルとして知られる山口良治(当時、フランカー)が、ラインアウトでボールを投げ入れる際、整然と体育坐りするファンに「頑張れよ」とふくらはぎを叩かれた秘話も伝わっている。そこまで客が入っていたのだ。結果はペナルティゴールのみの3対6。ノーサイドの瞬間、客が雪崩れ込み、選手たちを騎馬の上に乗せて讃えたという逸話もある。それは、勝利よりも素晴らしい、互いに力を 出し切った健闘だったのかも知れない。
そして、この試合で活躍し、5年後の1976年には、それこそイギリスでおこなわれた世界選抜チームの試合に、日本人で初めて選ばれた選手がいた。それが原進。後のプロレスラー、阿修羅原だった。
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