【大原麗子の生き方】「私は女優ではなく俳優なんです」と言った真意 親友・浅丘ルリ子が「お別れの会」で“二人の元夫”について語ったいい話

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人知れず重ねていた努力

 大原の経歴に触れたい。

 1946年11月、東京・文京区小石川で和菓子店を営む大原家の長女として生まれた。店は繁盛し、暮らしは裕福だっただが、家庭は大きな問題を抱えていた。父親が日常的に母親と大原を殴る。さらに、住み込みで働く従業員と関係を持った。大原が中学に入ったのに合わせて、両親は離婚した。

 子どもの頃から俳優を夢見ていた大原は、高校を卒業した64年、NHK新人オーディションに合格してドラマ「幸福試験」に出演。翌65年、東映に入社し、「孤独の賭け」で映画デビューする。そして「網走番外地」(65~67年)や「不良番長」(68年)のシリーズで人気者になる。

「獄門島」(77年)や「おはん」(84年)といった話題作も出演したが、やはり大原といえば、寅さんシリーズの2度のマドンナ役、そして、高倉健(1931~2014)演じる主人公を一途に愛する女性を演じて高く評価された「居酒屋兆治」(83年)を思い出す人が多いだろう。

 さらにNHK大河ドラマ「春日局」(89年)では、烈女のイメージが強いおふく(春日局)を母性愛にあふれた女性として演じた。これも記憶に新しい。

 そんな大原だが、「女優」と呼ばれるのを嫌ったという。

「自分はあくまでも容姿ではなく演技だけで評価されたい。『女優』ではなく『俳優』なんです」

 と語っていた。頑固なところがあり、台本で気になる点があると脚本家に書き直しを求めた。なかなか意見が通らず、降板したことも何度かあったという。森進一との離婚会見では、「家庭に男が2人いた」と森は結婚生活を振り返り話題となったが、子どもを欲しがっていた森とは考え方が違っていたのだろう。大原には仕事を続けていくことも大切だった。

 ところで、大原が亡くなった年の暮れ、テレビ東京系で「愛と涙の女優伝説」という番組が放送され、大原の自宅が初めて映された。一人暮らしでは寂しすぎる広さ。カメラは大原が残していたスクラップブックの中身にも迫った。雑誌などの切り抜きとメモ書き。やはり人知れず努力を重ねていた。

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