逸見政孝さん「がん告白」会見から30年 長男・太郎さんの告白「ザ・昭和の頑固オヤジでした」、13億円と報じられた大豪邸その後
1993年9月6日、人気絶頂だった逸見政孝アナ(享年48)の記者会見を今も覚えている方は少なくないだろう。まだ「癌=死」というイメージが強かった時代に、手術前に自ら病状を明かすという異例の会見は日本中に衝撃を与えた。あれからちょうど30年が経った。長男の逸見太郎氏(50)が振り返る。
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フジテレビの局アナを20年務めた逸見さんは、88年4月にフリーに転身。その後、日本テレビの「クイズ世界はSHOW by ショーバイ」や「夜も一生けんめい。」、フジの「たけし・逸見の平成教育委員会」など数多のバラエティ番組の司会で人気アナとなった。
9月6日、午後3時から行われた会見は民放各局が生中継した。
《わたくしが今、侵されている病気の名前、病名は……癌です。(中略)わたくしは1年後に亡くなるのは本意ではありません》
逸見太郎氏:あれからもう30年になるんですね。実は、母(晴恵さん)はあの会見を行うことに前向きではなかったんです。まだ癌は不治の病というイメージが強かったですし、わざわざ明かす必要はないと。でも、父は頑固で、自分で決めたことは誰が何と言おうと貫く人でしたから……。
――当時、太郎氏は米国のエマーソン大学へ留学中だった。
太郎:会見の生中継は見ていません。1週間くらい経って父から、会見のノーカット版のVHSテープと手紙が大学の寮に送られてきたんです。会見には、武士が戦いに挑む前の気合いというか、確固たるものを感じました。それと同時に、自分にはできないな、とも思いました。手紙には「自分が思っている以上の反響があった。やって良かった」といった内容が書かれていて、父らしいなと思いましたね。
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