【袴田事件再審】同級生が証言する巖さんの少年時代 「逮捕されたのを知って仰天した。あんな温厚な男が…」

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失われた30年

「平凡なサラリーマンだったよ」と謙遜する花島さんは、浜松市を代表する楽器メーカーの日本楽器(現・ヤマハ)に定年まで勤めた。「ピアノを担当していたんですよ」

 農家の長男という市川さんもヤマハ発動機に就職し、オートバイなどを担当、1996年頃に定年退職した。

「昭和40年頃から高度経済成長で、農家は二男や三男だけでなく長男までもが家業を継がずにサラリーマンになった。サラリーマンがとてもいい時代だった」(市川さん)

 最後に市川さんは、しみじみ語った。

「僕らが会社を定年退職した1990年代から、日本経済はどんどん駄目になっていった。春闘だって今は1000円上げるとかで騒いでいるけど、オイルショックの頃に2万円上がったこともある。私が最後にもらっていた頃の給料が、30年も経った今の給料とほとんど変わらないっていうんだから」

「モーレツサラリーマン」という言葉が流行った昭和40年代、馬車馬のように働いた男たち。ある意味、彼らの世代のほうが、今の先行き不透明な時代の壮年世代や若者よりも「元気な時代」を謳歌し、幸せなのかもしれない。巖さんの「失われた48年」に比すべき星霜ではないが、市川さんの言葉に日本の「失われた30年」を改めて感じた。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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