【袴田事件再審】同級生が証言する巖さんの少年時代 「逮捕されたのを知って仰天した。あんな温厚な男が…」
同級生が支援活動を始める
市川さんは「清水では同級生に河合謙臣(のりおみ)という男がいて、後に缶詰会社のお偉いさんになるんだけど、彼が一生懸命に袴田君の救援活動を始めたんだよ。何回か支援会に参加したことがある。だんだん行かなくなってしまって申し訳なかったな。報告の通信文が溜まるばっかりだった」と振り返る。河合氏は最近も支援活動に参加しているという。
市川さんは「袴田君が書いた上告趣意書を持っているよ。ものすごく高度な文章で驚いてしまう。監獄で本当によく勉強したんだ」と話す。
渥美さんは「ひで子さんと一緒に何度か拘置所を訪れたが、あんまり覚えていてくれなくて話もほとんどしなかった。まだ精神状態がしっかりしていた頃でしたね。(大学の)助手時代は比較的自由で、支援活動にもかなり関わりました。私は遅い出世でしたが、助教授、教授となってからはなかなか自由が利かず、次第に参加できなくなってしまいました」と申し訳なさそうだ。
2014年3月、静岡地裁が再審開始を決定し、拘置停止したことで巖さんがテレビカメラの前に姿を見せた。
「逮捕のニュースで見てからも50年近いんだから。やっぱり歳とったなあと思いました」と4人は声を揃えた。渥美さんは「釈放された時は浜松駅まで出迎えに行きましたが、マスコミだらけで声もかけられませんでしたね。その後、集会などで顔を出した時に会っています」と言う。
花島さんは「ちょっと頭が変になっていたみたいだけど、あんなところに50年も入っていたら誰だっておかしくなってしまうよ」と言うと、市川さんは「死刑囚だからね。懲役とは違うよ。何かで読んだけど、朝(看守の)靴音がして、自分の部屋(独房)の前で止まりはしないかと、びくびく怯えて毎日を暮らすというんだから」と言葉を継いだ。
巖さんは支援者が運転するドライブでよく岩水寺を訪ね、時折、藤森さんの家に来ては一休みする。とはいえ、元々が寡黙な巖さんである。
「来るんだけどさあ、黙って挨拶して、一休みして黙って挨拶して帰る。ほとんど何も話さないよ」(藤森さん)
驚くほど若々しくかくしゃくとしている4人の級友は「ニュースを見ていても袴田君は最近、少し歩くスピードが遅くなってきたな」と心配する。
[6/7ページ]