【レスリング】“卵一つ”で東京五輪を逃した男、樋口黎が難題を乗り越え「パリ五輪内定第1号」
乙黒の登場で減量苦に
最近の樋口といえば、悲壮感が漂う印象が強かった。
東京五輪前のアジア予選では、2位に入れば五輪出場の切符が獲得できた。ところが、計量で50グラム超過し、まさかの失格。ライバルの高橋侑希(山梨学院大職=29)との五輪代表を賭けてのプレーオフも減量苦で力が出せず、敗れて涙を呑んだ。「卵一個」の重さに泣いたのだ。
その後、65キロ級に転向したものの、ここに彗星のように現れたのが18年の世界選手権に優勝した、当時山梨学院大の乙黒拓斗(自衛隊=24)だった。樋口は、翌年暮れの全日本選手権こそ乙黒に勝ったが、その後、勝てなくなる。
「この階級では五輪出場は無理だ」と樋口は階級を57キロに戻した。
パリでの雪辱を目指す樋口は、昨年は同じベオグラードの世界選手権で非五輪階級の61キロ級に出て優勝。そこから五輪階級の57キロへ向けて調整していたが、年齢も上がり、壮絶な減量苦に陥ってゆく。ぜい肉がない筋肉ばかりの体を数キロも削ぎ落とすことは容易ではない。無理な減量をすれば、体力そのものも失われて闘えないのだ。
それでも樋口は「二度と同じ失敗はしない」と、毎日、自分の体と相談してきた。今年、元レスリング選手の女性と結婚した樋口は、減量のための食事を妻が工夫して作ってくれたという。
それでも今大会が始まる10日ほど前には、5キロ近くリミット体重をオーバーしていた。「樋口の計量は本当に大丈夫か」と心配していた報道陣も、17日朝の計量に合格したと聞いて安堵した。
期待される新たな五輪記録
過去の五輪で、一大会を挟んで二つの大会に登場したレスリング選手は、1996年のアトランタに出場しながら2000年のシドニーに出られず、2004年のアテネに復活登場した横山秀和(52)しかいない。
古くは1976年のモントリオール五輪で優勝、1984年のロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得した「天才レスラー」の高田裕司(山梨学院大教授=69)もいるが、1980年のモスクワ五輪の不参加はソ連のアフガニスタン侵攻により日本が米国に追随した参加ボイコットであり、レスリングそのものの力が及ばずに出られなかった横山や今回の樋口とは全く事情が違うだろう。
横山はメダルに届かなかったが、来年、樋口がパリ五輪で表彰台に上がれば、オリンピックで「一大会スキップしての2大会メダル」という新たな歴史を作ることになる。
筆者がそれを樋口に向けると「そんな記録は考えていませんけど、金メダルを目指します」と力強く答えてくれた。「天皇杯(全日本選手権=12月)は出ますか?」と聞くと、「欠場します」と答えた。そして「9月、10月……3月までに完璧に仕上げます」と話した。
減量に苦しみ抜いて遂に獲得したパリの檜舞台へのカウントダウンが始まる。
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