猿翁逝く 歌舞伎界初の大卒役者・三代目猿之助の反逆人生 最後は実子・香川照之が鎮圧に加担

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血縁に頼らない生き方

「しかしやはり、三代目の“反逆”といえば、血縁に頼らない生き方でしょう」

 1963年、猿翁は、23歳で三代目猿之助を襲名したわずか1か月後に祖父・二代目猿翁を、半年後に父・三代目段四郎を亡くす。そのため瞬時に“歌舞伎界の孤児”となった。このとき、他家からの誘いをすべて断り、今後は血縁に頼らずに生きていくとの決意を固めたといわれている。

「その決意は、私生活でも徹底していました。1965年に女優の浜木綿子と結婚し、すぐに香川照之が生まれますが、3年で不仲に。実は、若いころから憧れていた藤間紫さんとの関係が本格的になり、三代目は家を追い出されてしまうのです。そのとき、跡継ぎになるはずだった香川を引きとりたかったのですが、かなわなかった。結局、香川を手離し、成人まで養育費を払う条件で離婚が成立。この瞬間、三代目は自分に後継者はいないことを確信するのです。そして、“もう血縁には頼らない”との決意が、さらに決定的になったといわれています」

 実子・香川照之に対する絶縁は徹底していた。

「これは三代目自身が述べていることですが、1991年に香川照之が、楽屋に突然訪ねて来て、何やら役者としての教えを乞いたいといってきた。23年ぶりの再会でした。しかし三代目は『父でも息子でもない。誰にも頼らず独立自尊の精神でいけ』と追い返した。その場所が巡業先の沼津だったという。あまりに出来すぎで、関係者は“沼津の再会”なんて呼んでます」

 文楽・歌舞伎の名作「伊賀越道中双六」六段目は、沼津における父子の20数年ぶりの再会と別れを描く場面が有名で、通称「沼津」と呼ばれているのだ。

 そんな猿翁の“血縁に頼らない”思想が舞台で発揮されたのが、1986年2月に新橋演舞場で初演されたスーパー歌舞伎第1弾「ヤマトタケル」だったという。

「世間では、現代語のセリフやスピーディな展開、華麗な宙乗りが話題となりましたが、実はこの公演こそが、三代目の“反逆”だったのです。何より驚いたのは、重要な脇役の〈みやず姫〉役に、市川笑也が起用されたことです」

 市川笑也はそれまで、腰元や仲居など“その他大勢”の一人を演じていた。それが脇役とはいえ、ヤマトタケルの妻役に抜擢されたのだから驚いたのも無理はなかった。

「笑也は一般家庭の出身です。青森の高校を卒業後、国立劇場の養成所で学び、三代目の門下生として“その他大勢”を演じていました。まだ当時、正式な部屋子でもなかったと思います。実は〈みやず姫〉役には、ある名門の御曹司が内定していたのですが、役が軽すぎると断られてしまい、窮余の策で笑也が抜擢されたのです。ところが笑也は、いままでの女形にないクールな美貌で、声も可憐で美しい。案の定、大人気となり、再演では準主役級の兄橘姫/弟橘姫2役に“昇進”するのです」

 笑也だけではなかった。やはり養成所出身の市川春猿、市川段治郎(ともに当時の芸名)、児童劇団出身の市川猿弥、中学卒業後に澤瀉屋の門下生になった市川笑三郎……猿翁が、“血縁に頼らない一門”をつくろうとしていることは明らかだった。

「なかでも最も注目されたのが市川右近、いまの市川右團次です。このままいけば、彼が猿之助を継ぐのではないかと思っている人もいました」

 市川右近(当時)も歌舞伎の家の出ではない。ただ、大阪の日本舞踊・飛鳥流の家元の長男だったこともあり、9歳のころから子役で関西の舞台に立っていた。しかし中学1年で単身上京、猿翁に弟子入りし、同じ家で生活する。さらには師匠とおなじ慶應の中学~高校~大学と進み、部屋子から名題昇進。まさに三代目の実子かと見紛うばかりの活躍で澤瀉屋一座を支えた。

「ある時期からの右近は、芝居やせりふ回し、滑舌など、まるで三代目の生き写しのようでした。彼を見ていると、歌舞伎とは血縁ではない、一種の精神性みたいなものが引き継がれていく世界ではないかとさえ思いました」

 記者氏は、右近の舞台では、三代目が演出した「義賢最期」が忘れられないという。

「最後に絶命し、そのまま段上から舞台床面に倒れこむ“仏倒れ”という、たいへん危険な演出があるのですが、右近は、客席から悲鳴があがったほどリアルに倒れ込むのです。このとき、右近は心底から師匠を信じている、命を捧げるほどの覚悟があるんだと、感動させられました」

 こうして、三代目のもとに血縁に頼らない若手が続々集まり、一大勢力を形成し始めた。

「これこそが、三代目の反逆でした。やがて彼ら若手だけで〈二十一世紀歌舞伎組〉なる一派を結成させ、右近を中心にPARCO劇場や、いまはなきル・テアトル銀座などで新鮮な舞台を続々上演し、若い観客を呼び込むことに成功するのです」

 その一派で2008年に初演されたのが、この8月に歌舞伎座、9月に京都・南座で再演された『新・水滸伝』(横内謙介作)である。

「これは旧体制の朝廷軍に対し、梁山泊に立てこもった若者たちが反旗を翻す話ですが、明らかに当時の澤瀉屋一座を意識したあて書きでした。門閥や血縁を重視する歌舞伎界に対する、彼らの宣戦布告のように読み替えできたのです。ついに歌舞伎史上初、血縁ゼロの本格的一座が誕生したと、誰もが思いました」

 ところが、そうはならなかった。三代目猿之助の“反逆”は、思いもしない形で“鎮圧”されてしまうのだ。しかもその“鎮圧軍”のひとりに、なんと実子の香川照之がいたことに誰もが驚いた。

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