シーズン終盤でまさかの大失速! 歴史的V逸に泣いた「巨人」「阪神」「南海」の悲劇
75勝を挙げながら優勝を逃した「1986年の巨人」
優勝チームを上回る75勝を記録しながら、ゲーム差なしのわずか3厘差でV逸の悲哀を味わったのが、1986年の巨人である。
王貞治監督就任3年目の同年、巨人はシーズン終盤に主砲・原辰徳の負傷離脱やエース・江川卓の肩の不調などのアクシデントを乗り越え、10月3日のヤクルト戦では、前日頭部死球で病院に搬送されたクロマティの劇的な代打満塁本塁打で8対3と快勝。翌4日の阪神戦も、江川の代役・宮本和知の好投で連勝し、74勝47敗7分とした。
1ゲーム差で追う2位・広島にマジック「7」が点灯していたものの、残り7試合を全勝しなければならず、状況的には巨人有利。残り2試合を連勝すれば、さらに優勝に近づくとあって、王監督も「優勝すればオフも忙しいから、今年の冬は背広をたくさん作らなければ」と余裕をのぞかせていた。
ところが、必勝を期した10月7日のヤクルト戦、2対1とリードした6回に槙原寛己が“伏兵”ブロハードに逆転2ランを浴び、敗れたことが大きな落とし穴になる。ライバル・広島はこの日も3対0で中日を下して5連勝。この結果、残り4試合を3勝1敗でも優勝可能になった。
巨人は10月9日の大洋戦で10対4と大勝し、最後の10試合で9勝1敗という驚異的な勝率で全日程終了。「あとは天命を待つばかり」(王監督)と朗報を期待したが、7連勝中の広島は10月12日のヤクルト戦も8対3と快勝。巨人より2勝少ない73勝で逆転Vを決めた。
「広島は強かったが、ウチもいい戦いをした。負けたことは残念だが、この悔しさを来年につなげたい」と雪辱を誓った王監督は翌87年、就任4年目で初Vを実現している。
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