不倫疑惑に親権争い「福原愛」転落の原点…“天才少女”を悩ませた「父親との尋常ならざる関係」

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トラブルになることも

 つまり、福原は弱点の克服ができず伸び悩んでしまったのである。そのため、全日本選手権では最年少優勝を逃し、後輩の石川佳純に先を越されてしまった。日本女王の座も2回の獲得にとどまり、並の日本チャンピオンの成績に終わった。世界的な舞台でも、当初期待された成績を残すことはできなかった。もちろん、福原が作った卓球界隆盛への功績は大きく、現在の日本の活躍の端緒となったのは間違いない。

 選手経験がなかったとはいえ、武彦さんはなぜ環境を日和見的に変えていったのか。

 実は当時、武彦さんの建設業と不動産業には暗雲が垂れ込めていた。経営していた福原産業は1998年に倒産。負債総額は数億円とされた。結果、武彦さんは自己破産し離婚。福原家の家計は火の車となったのだ。そのため、アイドルのように国民的スターとなっていた福原の所属先も、金銭的に条件のいいチームへ変わっていったのである。

 当時、ミキハウスやグランプリとの契約金は、それぞれ5000万円と囁かれた。また、テレビ出演やCMへの露出も急増していった。テレビ番組のスポット出演のギャラは1本50万円、CMは1000万~2000万円だったそうだ。福原一家の収入は、まだ10代だった福原の細腕にかかっていたのである。武彦さんの債権者から返済を求められ、トラブルになることもあったという。前出の日本卓球協会関係者が指摘する。

絶縁状態に

「次第に自我が芽生えてきた福原さんは、父から傀儡のように扱われることや、プレースタイルについて自分の意見が通らないことなどに疑問を感じ始めたのではないでしょうか」

 ほどなくして、福原は父・武彦さんと絶縁状態になる。それまで武彦さんは試合会場で、新聞記者らへのスポークスマン役を務めていたが、このころから姿を見かけることがなくなり、父娘のあいだに距離があることが噂されるようになっていた。2008年のことである。

 そして時が下り、2013年10月16日。驚くべき事実が明かされた。この日、父・武彦さんが10日ほど前にすい臓がんで亡くなっていたことが報告されたのだ。驚いたのは武彦さんが亡くなっていたことではない。配られたペーパーには、こう記されていたのだ。

<(父とは)2008年の終わり頃を最後に、一度も会っていない状態にありました。以後は電話やメールでのやり取りも、一度もない関係となりました>

 5年間も絶縁状態だった、というのだ。福原は武彦さんの葬儀にも出席しなかったという。

「それほど冷え切った関係で修復不可能だったのでしょう。尋常ならざる関係でした」(卓球担当記者)

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