55年の時を経て初DVD化…映画「首」が描く恐ろし過ぎる事件の深層 「首だけ持ってくれば、わかるんじゃないですか」

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実際の事件を忠実に映画化

「この映画は、旧作邦画マニアの間では、いろんな意味でカルト的な人気を誇る怪作なんです。11月には北野武監督の『首』も公開されますが、ぜひこちらの『首』も忘れないでほしいですね」

 と興奮気味に語るのは、さる映画ジャーナリストである。

「1968年の『首』は、いままでソフト化されておらず、名画座での特集上映の際にしか見られない、プチまぼろし作品でした。それがついに、9月20日にDVD化されて一般発売されるんです」

 いったいどういう映画なのか。上述のように、これは実在事件がモデルである。しかも、かなり実話に忠実に映画化されている。

 事件の主役は、弁護士の正木ひろし氏(1896~1975)。戦時中から軍国主義批判を貫きつづけた反骨の人だ。戦後も多くの冤罪事件にかかわってきた。特に三鷹事件、八海事件、チャタレー事件といった歴史に残る事件を多く手がけている。文筆家としても知られ、1937(昭和12)年から刊行をはじめた個人月刊誌『近きより』は、没後に旺文社文庫版にまとめられ、毎日出版文化賞特別賞を受賞した。

 その正木氏自身が、いくつかの著書で、問題の首なし事件について書いている。特に、『弁護士 私の人生を変えた首なし事件』(1964年刊/改定版『首なし事件の記録 挑戦する弁護士』1973年刊、講談社現代新書)が、ほぼ映画の原作といってもいい内容なので、本書をもとに事件の概要を紹介しよう(本書中ではすべて実名)。

 1944(昭和19)年1月、正木ひろし弁護士のもとへ、茨城県長倉村(現・常陸大宮市)の炭鉱の女性鉱主S女史が相談にくる。福島から出稼ぎに来ていた炭鉱労働者Oが、花札賭博の容疑でほか3人とともに逮捕された。ところがOは2日後に脳溢血をおこして留置場で死亡したという。

 遺体を引きとったS女史は、死因に不信を抱いた。一緒に逮捕された者のなかには《さるまた一つの裸にされて、二、三十分間正座させられたものや、傷がつかないように皮で包んだ棒でなぐられたものもあった》(正木氏著書より、以下同)というのだ。

 正木弁護士は、さっそく検事に話を聞きに行くが、どうも様子がおかしい。何かを隠している気配がある。もしや拷問では……?

《戦前つまり旧憲法時代の刑事裁判では、被疑者の自白さえあればその他はつけ足しに過ぎませんでした。したがってその自白をえるために、警官による拷問がつねに行なわれました。それはむしろ必要悪として、検察側ばかりでなく、裁判官も、いや、弁護人さえも黙認しているのが常識でした。そして、拷問のことにふれるのは、絶対のタブーだったのです》

 正木弁護士が関係各所に問い合わせをはじめると、Oの遺体は、突然、司法解剖される。それも、仮埋葬されている寺の墓地で、夕刻に《棺を掘り出し、周囲を幕で囲み、炭坑用のカンテラ二個をつけて、戸外の小雨の中で執刀》された。あまりに性急で奇妙な司法解剖だ。結果は、やはり脳溢血だという。

 この解剖に、Oの実弟だけが同席を許された。彼は《頭蓋骨が切り開かれるのを見たが、内部は血液が一杯つまっていてまっかであった。》《背中に、棒でなぐったような赤い筋があった。A医師に聞くと、「脳溢血のときは、肩から赤くなるものだ」と答えた》などと証言する。

 知人の医師に聞くと《「頭蓋骨の中から多量の血液が出たということは、脳溢血による死亡ではなく、手でなぐられたような気がする。」》という。

 正木弁護士は、帝国弁護士協会に正式鑑定の陳情書を出そうとしていたが、もう時間がない。遺体が腐敗してしまう。そこで東大の解剖学教室へ相談に行くと、比較解剖学の西成甫〔にし・せいほ〕教授がこう言った。

《「首だけ持ってくれば、脳溢血かどうか、わかるんじゃないですか」》

 しかし、遺体から首を切断するのは、そう簡単ではないといわれている。すると教授は、

《「大学には、慣れた人がいますから、紹介してあげてもよろしいですよ。」》

 かくして正木弁護士は、翌朝、鉱主S女史と、“首切りに慣れている”という解剖学教室の職員N氏とともに、上野から列車に乗り、茨城の墓地へと向かうのであった。

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