「実はスーパーの食材で誰でも作れる」「野菜はタネもヘタも使う」 精進料理のレシピを禅寺の高僧が伝授!

ドクター新潮 ライフ

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思いのほか長生きできた理由

 ここの生活がよほど良かったのか、あるいは精進料理が体に合ったのか、蔬食を楽しみながら余生を送るつもりが、水上の体力はみるみる回復し、〈七十七になって、頭髪が黒々してきた〉とつづっている。心臓の3分の2が壊死したままだから、それほど長く生きるとは思わなかったに違いないが、結局、当時の平均寿命(2004年の男性は78歳)を超えて85歳まで生きた。

 思いのほか長生きできたのは、山間部の〈暮し自体が坂を登り降りする〉生活も理由にあったと、運動の効果にも触れているが、それ以上に、身の丈に合った精進料理を日常的に食したことが大きかったのは、水上の文章から伝わってくる。

 精進料理にはなんとなく健康に良さそうなイメージはあるが、水上が健康を取り戻したという精進料理とはどういうものなのか。静岡県函南町の曹洞宗長光寺の柿沼忍昭住職(66)に解説していただきながら、『精進百撰』で紹介されているメニューの一部を再現していただいた。柿沼住職は精進料理の研究家でもあり、『食禅 心と体をととのえる「ごはん」の食べ方』(三笠書房)という著書もある。

体調に合わせて変える

 本来の精進料理は禅宗の修行僧を育む料理であって、食べることそのものが修行だと柿沼住職は言う。

「精進料理の元祖は道元禅師(鎌倉時代初期の禅僧で曹洞宗の開祖)です。文献はありませんが、当時は珍しかった献立を修行僧に発表しているから間違いないでしょう」

 道元禅師は南宋で学んで帰朝すると京の建仁寺に戻ったが、おそらくそこで見た修行僧の食のあり方が南宋の僧にくらべてずいぶんひどかったのだろう。「食」を重視するようになっていた道元禅師は、禅寺の「食」を司る典座職の心がまえなどを「典座教訓」として著した。この時、献立も書いたとすれば、南宋から料理方法なども持ち帰ったはずだから、基本は中華料理と考えてもいいだろう。『精進百撰』で意外に油を使う料理が多いのはそのせいかもしれない。

 食事の前に唱える「五観(ごかん)の偈(げ)」に、食事の心得と共に〈食事とはまさに良薬のようなものであり、それは肉体を養うために食べるものだと心得なさい〉(『食禅』)とあり、医食同源を意識していたことは間違いない。

「献立を考えるのは典座和尚さんですが、思いつきで作るのではなく、今日はこういう作務があって汗をかくから塩気のある献立にしようとか、あるいは冬ならちょっと甘いものがいいだろうとか、食べる人がどういう状態なのかを知ったうえで、その時期の気温や湿度を考慮しながら味付けを変えたりします」

 水上も小僧時代に隠侍をしていた頃、老師に来客の人となりを逐一聞いてから畑と相談して献立を決めたと書いている。柿沼住職も、自分の体調に合わせて食事を変えるという。

「例えば内臓が疲れていると感じた時は、おかゆを食べます。おかゆとゴマ塩と梅干しが一番です。玄米の時もありますが、もうちょっと体調が良くない時は酵素玄米にします。玄米を3日ほど寝かせて発酵させるのですが、今はネットでもレトルトで売っています。体調を整えるには腸内環境を整えることが大切ですが、それにはやっぱり発酵食品のみそ汁がいいですね」

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