「実はスーパーの食材で誰でも作れる」「野菜はタネもヘタも使う」 精進料理のレシピを禅寺の高僧が伝授!

ドクター新潮 ライフ

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 誰もが知っていて、健康に良さそうなイメージを持っている精進料理。しかし、その由来や成り立ち、レシピなどを詳しく把握している人は多くないはずである。そこで、歴史を振り返りながら、スーパーなどに並んでいる食材で簡単に作れる調理法をご紹介する。

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 昔から、命は食べた物でできているといわれてきたが、医療の取材をしていると、そのことを痛感することがよくある。やはり間違った食べ物、間違った食べ方が病を作っているのではないか。病気を予防するには間違いのない食べ物を選ぶことが大切だと確信したが、実は間違いのない食べ物は、病んだ体を快復させてくれることもあると、最近になって知った。

 昨年公開された沢田研二主演の映画「土を喰らう十二ヵ月」は好評だったが、これは水上勉のエッセイ『土を喰う日々―わが精進十二カ月―』(新潮文庫)を原案にしたドラマである。

 水上は9歳で京都の臨済宗の禅寺に入寺し、14ごろから等持院で老師の「隠侍(いんじ)」を務めた。隠侍というのは住職の食事や寝所の世話をする役目で、炊事役(典座〈てんぞ〉)は本来別なのだが、当時の等持院は貧乏寺だったせいか、禅宗の調理も教えられた。禅宗では食事をするのも料理を作るのも修行で、この期間に精進料理をたたきこまれた水上は、大人になってからも自ら精進料理を作っていたようだ。仕事場があった軽井沢で畑を耕しながら、収穫した野菜で自ら作った精進料理について書いたのが先のエッセイである。

病院の食事、大量の薬に疑問を抱き…

 この本が最初に出版されてから10年ほどたった70歳の年、水上は心筋梗塞により39日間も集中治療室で治療を受けた。さいわい奇跡的に生還できたが、心臓の3分の2は壊死し、これ以降、約3年間は病院で闘病生活を送る。

 病院の食事は時間がきっちり守られ、献立も栄養士によって計算されていたが、禅寺育ちの水上には豪華すぎてとても箸をつけられなかったようだ。だんだんと食事が重くなり、半分も食べきれなくなったことや、水上の体調も考慮せずに食事のあとで二十数錠もの薬を飲まされることに疑問を抱き始めた。

 病院の豪華な食事も大量の薬も3分の1の心臓で生きている病人には必要ないのではないか。やがて野菜ばかりの食事で暮らした南宋の詩人にあこがれ〈蔬食三昧の暮しはいまの日本で可能だろうか〉と考え、病院を「脱走」する気分を強くしていく。

 水上は寒暖差の激しい軽井沢の山荘を処分し、長野県北御牧村(現・東御市)に土地を得て、そこに「勘六山房」というアトリエを建てて移り住んだ。ここで畑仕事をしながら、収穫した旬の野菜や近くの山で採れた山菜で気の向くままに精進料理を作ったり、竹紙をすき、草の煮汁で絵を描いたりと、新しい生活を始めたのである。

 そのことを書いたのが『精進百撰』(岩波書店)である。前著と比較すると同じ精進料理ながら違いもいろいろあって興味深い。精進料理だからどちらも肉や魚は使っていないが、北御牧村では揚げ物など胡麻油を使った精進料理が意外に多い。おそらく病をかかえていた水上の体が欲したのだろう。

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