「頭越しの取引を許してたまるか」 白昼のホテルで発砲「宅見勝若頭射殺事件」から26年

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ソウルで変死や無期懲役まで

 そして、運命の1997年8月28日を迎えることになる。

 事件直後、渡辺5代目は中野会長に温情を施し、復帰の可能性のある破門としたが、カタギである歯科医の死亡が確認されたことを受け、絶縁処分とした。

 中野会長は自らの関与を否定し続けたが、その後、犯行に関わったグループが中野会系組員であることが判明。実行犯は1人を除く3人は殺人罪で逮捕・起訴され、長期の服役をし、現在は出所している。時代が違えばさらに重い量刑が言い渡されていたことかもしれない。

 指揮役は韓国ソウルでナゾの変死を遂げ、見届け人役は潜伏中の2013年6月に兵庫県警に発見され、その後、殺人罪などで無期懲役が確定している。

 実行犯の1人は事件発生から9年弱が経過した2006年6月、神戸市内の某倉庫内において遺体で発見された。外傷はなかったとされる。

一切関与しなかった司6代目

「遺体で見つかった組員には中野会から逃走資金が出ていたと見られます。中野会は2005年8月に解散していますから、それに伴って資金が途絶え、万事休すということになったのでしょう」(同)

 中野会長襲撃から宅見若頭射殺に至る5代目山口組内の水面下の動きは、様々に語られてきた。

「宅見若頭一派が中野会長を看過し難いほど煙たく思うようになっていたのでしょう。それを察して中野会長が動いたということです。渡辺5代目をおろし、桑田若頭補佐を6代目に据え、宅見若頭は総裁に就任し、院政を敷くプランが一時期検討されていたというのが定説になりつつあります。そういった構想に一切関与していなかったのが司忍6代目で、それも6代目の座を射止めた理由の一つなのだと思います」(同)

 当事者の思惑はさておいて、一般人に被害が及ぶような事件が許されないのは言うまでもない。

デイリー新潮編集部

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