阪神はなぜ勝てた!? 本当にあった“不思議の勝ちあり”を振り返る!

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無安打で4得点

 無安打で1イニング4得点を記録し、足掛け4試合にわたるチームの連続イニング無得点にストップをかけたのが、2009年5月10日の横浜戦である。

 5月7日のヤクルト戦の2回に1点を挙げたのを最後に、2試合連続完封負けを含む25イニング連続無得点と打線に元気がない阪神は、この日も1、2回と無得点に終わり、不名誉な記録は「27」まで伸びる。2回には先発・福原忍が内藤雄太に先制2ランを許し、さらにムードが悪くなった。

 ところが、ここから“世にも不思議な物語”が幕を開けるのだから、野球は本当にわからない。

 2点を追う3回表、先頭の赤星憲広が7球ファウルで粘った末に四球で出塁したことが、反撃の狼煙となる。関本健太郎も連続四球で無死一、二塁としたあと、鳥谷敬の投前バントを小林太志が捕り損ねて満塁。次打者・金本知憲は一ゴロに倒れたかに見えたが、これをジョンソンが後逸したことから、ラッキーな2点で同点に追いついた。

 さらに無死二、三塁から小林のボークで勝ち越すと、1死後、林威助の遊ゴロの間に三塁走者・金本が勝ち越しのホームを踏み、なんと、無安打で4点を挙げた。

 これで勢いづいた阪神は、4回にも関本がチームとして33イニングぶりのタイムリーを放つと、6回に鳥谷、7回に狩野恵輔の一発が飛び出すなど、終わってみれば12対4の大勝。

 真弓明信監督は「結果は(無安打で4得点)だけど、(赤星、関本の)1、2番が粘って四球を取ったところから。やっぱり粘り強い攻撃(が大事)なんだと思う」と連敗脱出にホッとした表情だった。

三重殺を取られたものの

 三重殺を食ったばかりでなく、適時打もゼロだったにもかかわらず、試合に勝利したのが、2022年4月27日の中日戦である。

 2対1とリードの阪神は4回に、糸井嘉男、山本泰寛の連打で無死一、二塁のチャンスをつくる。

 だが、次打者・高山俊の鋭い打球は一直となり、捕球したビシエドがそのまま一塁ベースに駆け込むと、飛び出していた一塁走者・山本は帰塁できず、併殺で2死。さらに二塁走者・糸井もスリーアウトと間違えてベースを離れたため、ボールが二塁ベースカバーの京田陽太に転送され、三重殺が成立した。阪神が三重殺を取られたのは、野村克也監督時代の1999年5月27日の中日戦、新庄剛志の三重殺打以来だった。

 ベンチに引き揚げようとマウンド後方まで歩いたところで勘違いに気づき、慌てて帰塁を試みた糸井の足が、京田のタッチをかいくぐって二塁ベースを踏んだように見えたことから、矢野耀大監督がリプレー検証を要求したが、判定は変わらず……。

 絶好のチャンスを潰す最悪の結果に、矢野監督は「本当に恥ずかしい。あってはならないプレー。流れがあるんでね。オレもやだなと思っていたけど」と苦言を呈したが、それでも阪神は流れを失わなかった。

 先発・西勇輝が6回まで初回の1失点だけに抑え、終わってみれば、3対1の勝利。しかも、3得点は敵失や内野ゴロで挙げたもので、タイムリーは1本もなしという、前出の野村監督もビックリの「不思議の勝ちあり」だった。

 たとえ、どんな試合内容であっても、勝ちは勝ち。結果的にそれがチームを勢いづけ、時には栄冠につながることがあるのも、野球の醍醐味と言えるだろう。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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