鈴木誠也、秋広優人を育てた二松学舎大附高の監督が語る「慶応高校野球」 「監督は自己嫌悪の連続。自主性を重んじるチームは羨ましい」

スポーツ 野球

  • ブックマーク

慶応を追いかける難しさ

 実際のところ、本気で慶応の“モノマネ”をしようという高校は稀だろう。今も全国の高校で、野球部の監督は懸命に「自分たちの校風に合った指導」を模索している。

「でも、全国の監督の本音は『理想を言わせてもらえれば、そりゃ慶応みたいにやりたいよ』だと思いますよ(笑)。夏の甲子園を見て『慶応のような指導を行うと、あんなに躍動感を持ってプレーするのか、目がきらきらと輝くのか』と衝撃を受けた監督は多かったでしょう。昭和の時代は『甲子園で優勝するにはスパルタで猛練習しなければならない』という考えが一世を風靡し、『わが校もスパルタを見習おう』と全国各地の高校が後に続いたのと本質は同じです。とはいえ、昭和のスパルタを再現するのと、今の慶応の理想を追いかけるのでは、もちろん慶応を追いかけるほうが難しいですよね」

 スパルタ指導や勝利至上主義で批判を集めた名監督の1人として、帝京高校名誉監督の前田三夫氏(74)の名前が挙がることがある。市原監督は「あの前田監督でも部員の自主性に任せようとした時期はあったんです」と振り返る。

野球界の傲慢

「自主性を重んじているチームを見ると羨ましいんですね。監督という仕事は自己嫌悪の連続で、『さすがにここは厳しく言おう』と注意すると、選手のモチベーションは下がります。野球に関係のないことでも同じです。例えば、寮の部屋が汚いとします。部員に『部屋の整理整頓ができていないから注意する。野球とは関係ない。野球の練習は元気よくやってほしい』と念を押しても、高校生だとつながっちゃいますね。翌日の練習では元気がないんです。だから自主性に任せると、雰囲気はよくなって部員は楽しそうです。ところがしばらくすると、どこかほころびが出てくる。やっぱり勝ちたいから再び注意する。そうしたらまた自己嫌悪に陥る。この繰り返しです」

 慶応が投じた一石の波紋は、様々な論争を巻き起こした。代表的なものに「旧来型の指導が野球人口を減らしたのではないか」「貧困家庭が増加し、野球は用具代などの負担が重いスポーツになった。裕福な家庭の子供が多い慶応の快進撃はフェアとは言えないのではないか」の2点がある。

「僕が冗談で部員に『よく野球なんてやってるな』と声をかけると、彼らは『監督もやってるじゃないですか』と返します。僕は『野球しかなかったからな。でも、今はカーリングでも有名になれるんだぞ』と言うんです。僕だって東京の下町に生まれたから野球を始めましたけど、海沿いの街に生まれていたらサーフィンをやっていたはずです(笑)。今は子供の人口が少なくなっていますし、様々なスポーツがメジャーになって、それこそバスケットボールも盛り上がっている。野球人口は減って当然ですし、減少を論じること自体が野球界の傲慢なんじゃないでしょうか。日本ではバスケットもサッカーも野球も、世界で通用するようになれば一番いいじゃないかと僕は思いますね」

次ページ:NTTの貴重な体験

前へ 1 2 3 4 次へ

[3/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。