巨人・秋広優人は二松学舎大附高時代、成長痛で苦しむ一方、体重はなかなか増えず…3年時に遂に覚醒した“幸運とも言うべき理由”

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 巨人の内野手・秋広優人(20)が大ブレイク中だ。7月23日のDeNA戦で10号ソロを放ち、「高卒3年目以内の選手で4試合連続本塁打を放ったのは、日ハム時代の中田翔以来2人目、巨人では初」とスポーツ紙に報じられた。(全2回目の1回目)

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 9月13日現在、秋広は108試合に出場、打率2割7分7厘、10本塁打、41打点、出塁率3割2分という成績だ。中でも長打率は4割1分4厘と、「将来、巨人の4番を担える逸材」との声は多い。

 前ソフトバンク監督の工藤公康氏(60)もニッポン放送の野球中継で解説を務めた際、「ジャイアンツの中心打者で打てるようなバッターになるんじゃないかなと思っています」と期待を寄せた(註)。

 秋広の特徴は何をおいても2メートルという身長だろう。球界広しと言えど、これほどの高身長選手は秋広を含め数人しかいない。特に有名なのは同じ巨人に投手として在籍し、引退後、プロレスラーとして活躍したジャイアント馬場こと馬場正平(1938~1999)だろう。

 秋広は千葉県船橋市の出身。幼稚園の頃から軟式野球を始め、中学生の時は硬野球チーム「江戸川ボーイズ」に所属していた。

 中学卒業後は強豪校の二松学舎大学附属高校(東東京)に進み、2年生から投手として活躍。惜しくも甲子園の出場は叶わなかったが、この年は新型コロナが猛威を振るっていた。このことについては後で詳述する。

苦しめられた成長痛

 2020年のドラフトで巨人から5位で指名され現在に至る。秋広の“素顔”をよく知る高校時代の恩師・市原勝人監督(58)に、どんな選手だったか振り返ってもらった。

「秋広の兄がウチの野球部だったこともあって入部しました。高校1年で身長は190センチを超えていたはずです。今の秋広は“柔軟な打撃”が評価されていますが、当時から体の柔らかさは感じていました。その一方で、力強さには欠け、中学時代は目立つ選手ではありませんでした。将来有望と関心を持っていた関係者もいたと思いますが、実際のところ『鳴り物入りで入部し、すぐに大活躍』というタイプではなかったですね」

 入部時に190センチ台だった身長は、依然として伸び続けていた。そのため成長痛がひどく、練習に支障を来すこともあったという。

「ですから、体が横方向に大きくなることはありません。華奢な体格で、『これじゃ無理はさせられないな』と思いました。僕は入部した1年生には希望のポジションを聞き、基本的には希望通りにやらせます。もちろん明らかに不向きだったり、別のポジションのほうが活きると判断した場合は本人と相談し、変わってもらいます。秋広はピッチャー志望だったので、とりあえず投げさせました。ただ、彼のピッチングを見ると、自分の体を使い切れていない状態だったので、1日くらいで辞めてもらいました(笑)」

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