【福富太郎さんの生き方】面接したホステス3万人、首相もお忍びで、最盛期には44店舗…銀座「ハリウッド」の経営者が語った“昭和のキャバレー文化”

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公安警察官が店に

 波瀾万丈のキャバレー人生。日本の公安警察官が突然店にやってきて、話を聞かれたことがある。1987(昭和62)年11月、ビルマ上空で起きた大韓航空機爆破事件。実行犯として逮捕された金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚(61)の供述で浮かんだ、日本人教育係の「李恩恵(リ・ウネ)」が「池袋ハリウッド」で働いていたというのである。

「私はその女性を見た覚えもないし、どんな素性の女性かも知らなかった。聞いてみると、1978(昭和53)年ごろ、『ちとせ』という源氏名で働いていたが、突然、失踪した」

 福富はそう語っていた。

「ちとせ」なる女性が働いていたという話はマスコミに漏れ、大騒ぎ。「彼女の写真はないか」「仲の良かったホステスはいないか」などあれこれ質問してくる。「池袋ハリウッド」の前には、24時間ぴったり、取材陣が張り付いたという。

「山田という店長が時の人のようにテレビの取材に応じて、いろいろしゃべっているのが放送されましたね」と福富。

 のちに日本の警察当局は、李恩恵を1978(昭和53)年に北朝鮮に拉致された田口八重子さん(当時22)と断定する。李は「バッカみたい」という言葉をよく使っていたおり、田口も店では「バッカみたい」とよく言っていたという

 それにしても、「犯罪の陰に女あり」とは昔からよく言われるが、キャバレーのホステスも事件の鍵を握ることがあるのかもしれない。福富の店でも、客との痴話げんかがもとでホステスに硫酸が掛けられたり、逆にホステスのほうが別れた亭主を隠し持っていた包丁でいきなり刺したりするなどの事件があったという。

 一時は首都圏に50近い店舗を構えた。「いろいろ聞きたい」と私は何度も福富に会い、自宅も訪ねた。

 面接したホステス3万人。酒を飲むたびに別れた夫を思い出し、体を壊してしまったホステス。養育費が払えないまま、赤ん坊を店に預けっ放しにした女性。トイレの消臭剤の代金として暴力団から月4万円を要求され、断固拒否したスナックのママ。それぞれ様々な事情を抱えていた。

 80歳を超えると、福富はすっかり元気がなくなった。

「ホステスさんから見れば、髪の毛の薄いオッチャン。この業界に入ったときは店では一番若いボーイだったが、半世紀以上経った今では、まるで玉手箱を開けた浦島太郎のようなもの」

 と苦笑していた。「店に遊びに来ませんか?」と晩年はよくお誘いの電話があった。昭和のキャバレー文化とは何だったのかを伝えたかったのかもしれない。疲労の色が濃かった日などは、インタビュー時間を短くした。

 2018年5月29日、老衰のため死去。最後まで残っていた北千住店と赤羽店の2軒のも同年暮れに店を閉じた。キャバレー文化は福富の死とともに消え去ったが、福富は私に酒の飲み方以上のものを教えてくれたような気がする。ありがとうございました。

 次回は2009年に亡くなった女優・大原麗子(1946~2009)。麗しい容姿に罪深いほどの色っぽさ、そしてハスキーな声。映画「男はつらいよ」では2度、マドンナとなり、「美魔女」を演じた。病気とは無縁とみられていた彼女が患っていたギラン・バレー症候群とは。

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

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