ジミ・ヘンドリックスが愛したボブ・ディラン 「みんなが彼を引きずり落そうとしているが、俺はほんとに彼の音楽が好きだ」
9月18日はジミ・ヘンドリックスの命日(1970年没)。
ジミヘンは生きていれば80歳で、新アルバムが話題のローリング・ストーンズのミック・ジャガー(80歳)やキース・リチャーズ(79歳)、今年4月に来日したボブ・ディラン(82歳)らと同世代である。
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生きていればおそらくは彼らと共演し、ファンを熱狂させていたに違いない。
生前、彼がストーンズのメンバーやディランと親交があったのは有名な話だ。結びつけたのは言うまでもなく音楽、それもブルースなど黒人音楽である。(以下は『ボブ・ディラン』から抜粋・再構成したものです)。
キース・リチャーズを驚嘆させた黒人音楽家
「フォークのプリンス」として世に出たボブ・ディランですが、実はデビュー・アルバムの収録曲のうち半分以上が黒人アーティストのカヴァー曲でした。彼の音楽にとって、ブルースなどの黒人音楽は、欠くことができない重要な要素だったのです。
ボブ・ディランの黒人音楽への関心は、特殊なものだったわけではありません。
しかしボブがデビューした時点でブルースをレパートリーにする白人のフォーク・シンガーはまだ多くありませんでした。白人の若者たちの間でブルースへの関心が高まるのは、イギリスのロック・ミュージシャンの演奏するブルースがヒットした60年代後半に入ってからのことです。
61年9月29日、ボブ・ディランはプロデューサーのジョン・ハモンドから発売準備中の2枚の復刻アルバムのアセテート盤を渡されました。そのうちの1枚が『キング・オブ・ザ・デルタ・ブルース』でした。それはローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズに「あいつには右腕が2本あるにちがいない」と言わしめたロバート・ジョンソンの作品集でした。
「あのときロバート・ジョンソンを聞いていなければ……」
ボブはロバート・ジョンソンの歌の作り方に、他の人の曲の使いまわしには終わらないひらめきを感じました。それから数週間アルバムを聞き続けた彼はこう書いています。「それを聞いているときは、恐ろしい幽霊が部屋にいるような気がした。彼の歌は、驚くほど簡潔な行を積み重ねて構成されていた」「あのときロバート・ジョンソンを聞かなかったとしたら、大量の詩のことばがわたしのなかに閉じこめられたままだった」(『ボブ・ディラン自伝』P352、357)
ロバート・ジョンソンに触発された曲としてボブは「ライク・ア・ローリング・ストーン」を収録したアルバム『追憶のハイウェイ61』のタイトル曲をあげています。ハイウェイ61号はアメリカの中央部を南北に縦断する道で、ボブの故郷ミネソタ州ダルースも通っていました。
『追憶のハイウェイ61』には他にも「トゥームストーン・ブルース」「悲しみは果てしなく」「ビュイック6型の想い出」などブルースに曲構造を負う曲が入っています。彼が本格的にエレクトリック・サウンドに手を染めた最初の曲「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」をはじめ、ロックの歴史を変えたこの時期の彼の一連の音楽はフォーク・ロックと呼ばれましたが、その推進力はブルースだったのです。
60年代後半にはレッド・ツェッペリンらも
かつてブルースは、差別された黒人社会の中で黒人に向けて作られた内輪の音楽でした。1920年代以降、ジャズ・ミュージシャンはブルースを即興の素材に取り上げて、洗練された表現を作り出していきます。しかし保守的な白人層や厳格なキリスト教徒の考えでは、ブルースは罪深い音楽、もっと言えば悪魔の音楽でした。ブルースの影響を受けた50年代のロックンロールに対する大人の反発や懸念にもその考えが反映されていました。
60年代後半には、ポール・バタフィールド・ブルース・バンド、クリーム、レッド・ツェッペリンら、数多くの白人のロック・ミュージシャンが、ブルースを大音量に増幅して演奏しはじめます。そこには表面的な憧れやヒロイズムもありました。しかし差別された黒人の悲しみや怒りや誇りへの共感は、白人を中心にした社会の価値観を疑うカウンター・カルチャーの精神と不可分なものでした。
ジミ・ヘンドリックスの言葉
ボブ・ディランは、格差や差別の激しいアメリカ社会で生まれたブルースの表現方法を学びながら、それまでのブルースになかった文学的幻想を持ちこみ、立ちはだかる境界や障壁を越えようとしました。やはりブルースから出発して異次元の音楽を作り出した天才ジミ・ヘンドリックスはボブの「ライク・ア・ローリング・ストーン」や「見張塔からずっと」をいち早くカヴァーしています。ジミはボブのブルースについてこう語りました。
「ボブ・ディランの歌が好きじゃない人は歌詞を読むべきだ。そこには人生の喜びと悲しみが満ちている」(What Jimi Hendrix thought about Bob Dylan『ファーラウト』2021年3月22日)「みんなが彼を引きずり落そうとしているが、俺はほんとに彼の音楽が好きだ。『追憶のハイウェイ61』、中でも『トゥームストーン・ブルース』が特に」(Steve Barkerによるインタヴュー、67年1月)
ボブは自伝の中でこう書いています。
「ブルースの血流であるミシシッピー川も、わたしの故郷近くから始まっている。わたしはそのどちらからも遠く離れたことはなかった。それはわたしのこの世界での居場所であり、いつも自分のなかにそのふたつのものを感じていた」(『ボブ・ディラン自伝』P297)
ボブの中には、61号線が終点を迎える北国の寂しい冬の季節に、ラジオからノイズにまじってかろうじて流れてくる南部のカントリーやブルースに耳を傾け、想像を膨らませていた少年がいまも住んでいるにちがいありません。