「別班」のリアルはまるでダメサラリーマン! 元メンバーが証言「昼過ぎに帰る者も」「月に10本足らずの報告書でノルマ達成」
日米秘密協定
この「別班」、テレビマンの創作ではなく、実際に陸上自衛隊の中にある諜報部隊。しかし、政府はその存在を公式には認めず、実態はベールに包まれてきた。
「実際の『別班』って、ドラマに出てくるような組織じゃないんです」
とは、冒頭の陸自OB元メンバー。
その証言に入る前に、「別班」の歴史について振り返っておこう。
「『別班』が発足したのは、60年以上前のことです」
とは「別班」OBに取材経験のある、軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏だ。
「発端は自衛隊発足時、日米の間で陸自と在日米軍とが非公式に合同で諜報活動を行うという秘密協定が結ばれたことです。陸自側が米軍に出向し、情報収集・分析の研修を受けた。そうして鍛えられた部員を集め、1961年に当時の陸幕第2部という部署に『特別勤務班』ができた。これが『別班』の始まりです。メンバーは20人ほど。隊の中でも非公然の扱いでした」
そのため、歴代の政権は、国会で問われても「そのような組織は存在しない」と回答し続けてきた。当初、活動資金の一部は米軍から拠出されていたという。
彼らは一体、何を行っていたのか。
「基本的にはソ連や中国、北朝鮮など仮想敵国の情報収集です。商社員や記者、朝鮮総連や在日中国人実業家など、対象国を往来する人やその関係者に接触し、情報を集め、それを報告していた。報償費も数千円から2万円程度は支払っていたそうです」(同)
入学試験はなく、首席だけが選ばれるわけでもない
先の元メンバーは言う。
「私はもともと情報の世界に興味があり、当時の別班長にリクルートされて入ることになりました」
「別班」に入る者はその前に陸自の小平学校で「心理戦防護課程」なる訓練を受けることが多いが、
「私もそこで半年間、尾行・監視に対する点検活動や、身分偽装の訓練を受けました」
小平学校とは、旧軍時代、諜報員養成を行っていた「陸軍中野学校」の流れをくむ教育機関だ。
この「心理戦防護課程」については、堺が入学試験を受ける場面がドラマでも登場する。また、「別班」について書かれた書籍には、合格者のうちから首席だけがメンバーに選ばれると記したものがあるが、
「入学試験はありませんでしたし、首席だけが選ばれるわけではありません。『心理戦防護課程』を修了していない班員もいました」
そして数年後、元メンバーは「別班」へ配属されることになったのだ。
「名目上は、今の陸上幕僚監部の指揮通信システム・情報部に配属になるんです。当時六本木にあった防衛庁の陸幕監部に籍はありましたが、そこには出勤しないことになっていました。代わりに都内に“拠点”があり、そこに通っていた。自分の場合は山手線内のマンションの一室でした」
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