全国の「虎ファン」が泣いた…阪神がついに“暗黒時代”を脱出した「劇的優勝」を振り返る!

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「今年1年間のいろいろな思いを込めて一打に賭けた」

 スタンドの猛虎ファンのボルテージが一気に上がったのは、1対2の8回だった。この回の先頭打者で、7回から途中出場の片岡篤史が、長谷川の直球をとらえ、右中間スタンドに起死回生の同点ソロを放ったのだ。

 片岡は日本ハムからFA移籍してきた前年、打率.228、11本塁打と振るわなかった。だが、星野監督は、片岡が野村克也前監督時代の前年10月に入団し、自ら獲得した選手ではなかったことから、「去年の1年目を終えて迎えた今年、ようやく片岡は私が指揮するタイガースの本物の一員になったんだと今は思っている」(自著「夢 命を懸けたV達成への647日」 角川書店)とセ・リーグに慣れた2年目の奮起を期待していた。

 8月中旬以降、不調でスタメンを外れることも多かった片岡だが、「打てなくてイライラしても、去年のことを思えば何てことはなかった」と前向きな気持ちを失わず、「今年1年間のいろいろな思いを込めて一打に賭けた」結果が値千金の同点弾になった。

 土壇場で追いついた阪神は、9回も1死から藤本敦士、片岡の連打で、サヨナラのお膳立てをする。沖原敬遠で1死満塁となり、次打者は2番・赤星。入団1年目の2001年に打率.292、39盗塁で盗塁王と新人王に輝いたが、翌02年は右足のけがで前半戦をほぼ棒に振るなど、3ヵ月以上戦列を離れた。

 にもかかわらず、契約更改で代理人を起用し、公傷による査定アップを要求したことから、「スタープレーヤーであるかのように錯覚している」と感じた星野監督は、金本知憲のFA加入後、赤星を“4人目の外野手”として扱い、翌03年の春季キャンプでは赤星の「あ」の字も口にしなかった。

7度宙を舞った「背番号77」

 危機感を抱いた赤星は、キャンプ中休日も返上して、目の色を変えて打撃練習に取り組んだ。「才能と資質だけだった」赤星が“努力の人”に変貌したことを認めた指揮官は、開幕からスタメンで使いつづけ、赤星も初の打率3割をマークして期待に応えた。

 一打サヨナラのチャンスに、「僕が決める」と気持ちを高ぶらせた赤星だったが、直後、星野監督が歩み寄り、言った。「内野も外野も前進守備や。ミートすれば外野の頭を越える」。「監督のお蔭で冷静になれた」という赤星は、鶴田泰の初球、カーブが甘く入ってくるところを完璧にとらえる。打球はライト・朝山東洋の頭上を越えていった。

 赤星は両手を掲げて喜びをあらわにし、三塁から藤本が手を叩きながらサヨナラのホームイン。たちまち歓喜の輪が広がるなか、星野監督も「ようやった、ようやった」と言いながら、赤星の頭を抱きしめた。

 この時点でまだマジック「1」だったが、2時間8分後の19時33分、ヤクルトが横浜に敗れ、V決定。ベンチで待機しながらオーロラビジョンの中継を見守っていた阪神ナインが再びグラウンドに飛び出し、背番号77が7度宙を舞った。過去10年間で最下位6度、就任1年目の前年も4位に終わったチームを、「来年は必ず悔し涙をうれし涙に変えたい」と誓い、見事頂点に導いた闘将の第一声は「あ~、しんどかった」だった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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