全国の「虎ファン」が泣いた…阪神がついに“暗黒時代”を脱出した「劇的優勝」を振り返る!
「何で優勝まで生きとらんかったんや」
岡田阪神が9月14日に18年ぶりのセ・リーグ優勝を達成したが、今から20年前の2003年9月15日は、就任2年目の星野仙一監督率いる阪神が、くしくも今季と同じ18年ぶりVを実現した日だった。【久保田龍雄/ライター】
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同年の阪神は、開幕戦で横浜に敗れたあと、翌日から3連勝して首位に立つと、4月26日以降、首位の座を堅持。7月8日に早くもマジック「49」が点灯した。その後、8月の“死のロード”で4勝11敗と負け越したものの、8月27日に本拠地・甲子園に戻ると、7連勝して再び上昇気流に乗った。
そして、マジックを「5」まで減らして、9月9日から神宮でヤクルト、ナゴヤドームで中日相手のロード6連戦に出発。この時点では、“Vロード”中の胴上げが濃厚で、星野監督も「できることなら甲子園で優勝したいという気持ちは、前から言っているとおり。でも、いつでもどこでもいい」と語っていた。
ところが、この6連戦を0勝5敗1分と、まさかの足踏み。中日戦が行われた9月13日には、星野監督の母・敏子さんが他界するという悲劇にも見舞われた。翌14日の試合後、母のもとに駆けつけた星野監督は「何で優勝まで生きとらんかったや」と号泣し、必勝を期して再びチームに合流した。
名誉挽回の右前タイムリー
翌9月15日、マジック「2」の阪神は、8日ぶりの本拠地・甲子園で広島と対決した。阪神がこの試合に勝ち、2位・ヤクルトが横浜に敗れれば、18年ぶりVが決定する。
だが、本拠地に戻っても、阪神は連敗中の悪い流れを払拭できない。3回に先発・伊良部秀輝がシーツに先制2ランを浴び、打線も4回まで広島の先発・河内貴哉に無安打と快音が聞かれない。
重苦しいムードが漂いはじめた0対2の5回、先頭の矢野輝弘が左前にチーム初安打。1死後、伊良部が送り、2死二塁で、負傷欠場の今岡誠の代役・沖原佳典が打席に立った。
0対5で敗れた9月14日の中日戦の8回1死、一塁走者の沖原は、赤星憲広の左飛の直後、アウトカウントを間違えて飛び出し、併殺に取られる失態を演じていた。
しかし、星野監督は「ミスじゃない。ボーンヘッドや」と呆れながらも、この日も沖原を1番セカンドで起用した。「大事な試合で、先発で使ってもらってる」と意気に感じた沖原は「何とか自分の打撃をしよう」の一心で名誉挽回の右前タイムリーを放ち、1点差に詰め寄る。
だが、6、7回は3者凡退。河内、長谷川昌幸のリレーの前に7回までわずか2安打と、なかなか流れを引き寄せられない。それでも伊良部は、気持ちを切らすことなく、粘りの投球で追加点を許さず、7回途中からリリーフのリガンも8回まで無失点。あとは味方の反撃を待つだけだ。
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