幼い2人の娘は“死”を理解する前に命を落とした…「熊谷6人殺害事件」から8年、遺族男性がいまも法廷で戦い続ける理由
「県警にとって都合の悪い部分を『既読スルー』しないでほしい」
理由書を読み込んだ加藤さんは、こう感想を述べた。
「県警幹部の証言に信憑性がないことは、理由書を読めば分かるはずです。でも、これまでの判決を考えると、いくら原告側が正しいことを主張しても、最高裁で跳ね返されるのではないかという不安があります。県警にとって都合の悪い部分を『既読スルー』するのではなく、全て回答してから判決を出すべき。これ以上不当な判決で苦しめないで欲しい」
最高裁によると、上告申立てが受理される確率は極めて低い。
2022年度は上告受理申立ての件数が2701件で、このうち受理されたのは36件と1.3%。21年度は1.8%、20年度は2%という狭き門である。
またしても司法に裏切られるかもしれない――。そんな不信感を加藤さんが抱いたのは、今に始まったことではない。
ジョナタンが強盗殺人などの罪に問われた刑事裁判では、一審の死刑判決が二審では「心神耗弱」を認められて無期懲役に減刑され、検察は上告を断念。弁護側は上告したが、20年9月に無期懲役が確定した。
その頃から加藤さんは、まともな精神状態でいられなくなった。睡眠薬や精神安定剤は手放せず、感情の起伏が激しい。加えて民事でも敗訴が続いたため、今年1月半ばからは、精神的な苦痛を理由に会社を休職している。給付金を受け取りながら、今も3人の面影が残る自宅でテレビを見たり、週に2日程度は趣味の自転車で遠方へ出かけたりする日々だ。
「あの時自分も一緒に死んでいたら」
「生きようという気力がなくなっています。自転車でダムの近くまで行くと、ここから飛び降りれば楽になるなあと未だに考えてしまいます。そんな気持ちを周囲に打ち明ければ、『亡くなった3人が悲しむだけだ』と言われるのも想像できるし、それがまた辛い。自死に対する後ろめたさを超えたいと思うほどに死にたくなる時があるんです」
家族で自分1人だけが生き残った後も続いていく人生――。
日常生活では今も、3人のことをふと思い出す。近くのスーパーで、自転車でたどり着いた秩父で、熊谷のうちわ祭りで……。自宅のリビングには、4人でいつも囲んでいた食卓が残されたままだ。
「最後、どんな思いで亡くなっていったんだろうなって考えますね。特に娘たちにとっては、『死』とはどういうものかを理解していないほど幼い年齢で亡くなっていますから。あの時自分も一緒に死んでいたら、こんなに辛い人生にならなかったなと」
加藤さんの口から繰り返される「辛い」という言葉。他人に共有できない苦しみや怒りを1人で抱えているからこそ、裁判官にはこんな本音も漏らしたくなるのだ。
「誰のための裁判なんだと言いたいですね。被害者の気持ちに寄り添うっていう考え方はないんだなと。裁判官も僕と同じような目に遭えば、自ずと答えは見えてくると思います。亡くなった人の命よりも、警察組織を守ることを優先してきた司法判断に、悔しい気持ちでいっぱいです」
そう語る加藤さんの訴えは、最高裁に届くのだろうか。
申立てが受理されるか否かが決まる平均審理期間はおよそ半年。来年の春までには、その結果が出ているかもしれない。