「VIVANT」で注目集める警視庁公安部 潜伏するテロリストの自宅に踏み込んだ瞬間

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 人気ドラマ「VIVANT」はスケールの大きさ、キャストの豪華さが破格だと評判だが、それ以外にもテレビドラマとして珍しい点として挙げられるのは「公安」の描き方かもしれない。

 多くの場合、警察モノドラマにおいて「公安」は悪玉として登場してきた。正義感あふれる刑事を尾行したり、国家の陰謀に加担していたり、という役回りである。何だか不気味な存在なのだ。

 しかし今回、阿部寛が演じる警視庁公安部外事4課の捜査官は、国家の安全のため、危ない橋を渡り続けており、やることこそ型破りではあるものの、「善玉」として活躍しているのだ。

 むろん実際の公安警察官も、こうした任務を負っている。ここで紹介するのは、日本に潜伏していたテロリストと公安との暗闘に関するドキュメント。対象は「TENT」ではなく「アルカーイダ」である。(以下は大島真生著『公安は誰をマークしているか』をもとに再構成しました。肩書、部署名などは刊行時のものです)

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穏やかな青年の素顔

「人望もあっていい青年だった。警察の人は『アルカーイダだ』と言っていたけど、今でも信じられない」。

「警察」が「アルカーイダだ」と断言したという青年は、都内の塗装会社に勤めていた。警視庁の捜査員から青年の素性を聞かされた72歳の塗装会社社長は、困惑した表情でつぶやくように、こう振り返った。

 2002年5月29日、警視庁は出入国管理及び難民認定法違反(不法滞在)の容疑でパキスタン国籍のモハンマド・アブー(仮名)を逮捕し、東京都荒川区東尾久のアブー宅を家宅捜索したのである。捜査は地元の尾久警察署に「アルカーイダの軍事キャンプでテロ訓練を受けたパキスタン人の男が、荒川区内に潜伏している」との情報が寄せられたことが端緒だった。

 情報はすぐさま警視庁本庁の公安部に伝えられ、アブーの視察(監視)が始められたのである。しかし、アブーの日常は公安部や尾久警察署の捜査員らが拍子抜けするほど穏やかで、下町での暮らしぶりはひっそりとしたものだった。

世界中に潜伏していたテロリストたち

 アルカーイダとは、言うまでもなく2001年9月11日、米同時テロを起こしたウサマ・ビンラディン(2011年5月に米軍により殺害)が創設したイスラム過激派テロ組織である。アルカーイダの軍事キャンプは、アフガニスタンのクンドゥスやジャララバードなどに点在。米同時テロ後の米英軍による空爆で一時壊滅状態となったが、空爆前はアルカーイダの軍事部門のメンバーに加え、フィリピン南部のミンダナオ島周辺を拠点とするイスラム原理主義テロ組織「アブ・サヤフ」やイエメンの武装組織「アデン・イスラム軍」、チェチェンで独立運動を続けるイスラム武装勢力のメンバーら約2万人が訓練を受けたと言われているテロリスト養成施設である。

 世界中を震撼させた米同時テロは、各国に散っていた軍事訓練経験者たちが、直接の接触は避けながら遠隔地から指示を受けてハイジャックに臨んだ末の惨事だった。警察幹部は「アルカーイダの訓練を受けたテロリスト予備軍は、まだ世界各国に大勢潜伏している。アルカーイダのテロは何年もかけて行われるため、潜伏した連中は決行の日まで、目立たないように生活している」と指摘している。アブーの私生活は、まさにこれにぴったりと一致していたのだ。

不法滞在で追放したが……

 警視庁は短期間の尾行、視察の結果、アブーの「企み」を解明するには強制捜査以外に手段はないと判断し、逮捕に踏み切った。同時に行った家宅捜索ではウサマ・ビンラディンの写真や、テロを「聖戦(ジハード)」として正当化する内容の文書、本人名義ではない携帯電話を発見し、押収した。

 携帯電話からは米国への発信記録が複数回に渡って残されており、警視庁は米国当局に照会するとともに、アブーを厳しく追及したのである。だがアブーはアルカーイダとの関係を頑なに否定したのだった。

 日本の法律では不法滞在者は起訴後、裁判で執行猶予付きの有罪判決を受けると本国に強制送還されてしまう。アブーは逮捕後の勾留期限が満期となる6月に起訴され、東京地裁で8月16日に、懲役2年、執行猶予5年の有罪判決を受けて、同月30日に強制送還された。

 だがその後、米国当局からもたらされた照会結果に、警視庁は衝撃を受けることとなった。

判明した通話先は大物だった

 アブーが使用していた携帯電話から複数回の発信履歴があった先は、米・カリフォルニア州内のオフィスと判明した。衝撃的だったのは、このオフィスからは過去複数回、イスラム原理主義テロ組織「ジェマ・イスラミア(JI)」のインドネシア・ジャカルタ事務所や、アルカーイダのナンバー3のアブ・ズベイダと通話があったことだった。

 JIは東南アジアに拠点を置き、2002年10月のバリ島爆弾テロへの関与が明らかになっている。インドネシアを中心に、マレーシアから南部フィリピンに及ぶイスラム国家樹立を目指しており、1990年代初頭から活動が活発化。アフガニスタンでの対ソ連戦争に義勇兵として参加したメンバーが、アルカーイダとの協力関係を構築したとされ、「アルカーイダの汎東南アジア組織」との指摘もあるテロリスト集団である。

 一方のズベイダは、2002年3月にパキスタンで米国当局に身柄を拘束されるまで、ナンバー3としてアルカーイダを牽引していた大幹部である。ナンバー3の座を引き継いだのが、1993年の世界貿易センタービル爆破事件やバリ島爆弾テロに関与し、米同時テロを起案したとされるハリド・シェイク・モハメドである。ちなみにCIAや外事三課ではハリド・シェイク・モハメドを、ミドルネームなどそれぞれの頭文字をとって「KSM」と呼ぶ。KSMは2003年3月、米国当局に身柄を拘束されている。

人脈を丸裸に

 米国当局からもたらされた照会結果を受け、警視庁はアブーの日本滞在中の交友関係を洗い直した。そしてアブーと電話で頻繁に連絡を取るなど関係が深かったパキスタン出身の男ら7人を2003年3月から6月にかけて、入管法違反(不法滞在)や車庫法違反(車庫飛ばし)の容疑で逮捕し、関係先の捜索を徹底的に行ったのである。

 アブーの電話内容は結局不明のままだが、その人脈を丸裸にし、アルカーイダの日本国内でのネットワークの一端を明らかにした功績は公安警察内部で高く評価された。

 尾久警察署と公安部の外事三課は、公表されてはいないが警察庁警備局長賞を受賞したのである。公安警察の捜査員にとって、警備局長賞は大変名誉なことだ。局長賞は警察庁長官賞に準じるものである上、密かに中央集権的な国家警察システムを残す公安警察のトップによる直接の表彰だからである。

来日テロリストの目的

 米国当局からアブーの電話先について驚愕の照会結果がもたらされたことで、発足して間もない外事三課が本格的に投入され、数か月間に渡り、アブーの人脈解明に当たった。

 今や忘れられがちだが、2003年10月にカタールの衛星テレビ局アルジャジーラで公開されたウサマ・ビンラディンの肉声は、米国の同盟国である日本をテロの標的として初めて名指しした。この「テロ予告」以降、日本の警察にとって国内で地下に広がっている可能性のあるアルカーイダのネットワークの全容解明は極めて重大な任務となっているのである。

 また、ビンラディンは米軍によって殺害されたことで、イスラム過激派テロリストたちにとって「殉教者」となった。このことで、世界各地の米国人や米国施設は報復の危険にさらされており、日本国内も例外ではない。

 外事三課発足以降、サウジアラビアやイラン、エジプト、アルジェリア、パキスタン、インドネシアなどイスラム諸国会議機構(OIC)に加盟する56か国1地域の出身者が「テロとの関係の有無」について重要な視察の対象だった。だがOIC以外の国でもフィリピンやインドなどイスラム教徒の多い国があることから、最近はこうした国のイスラム教徒についても危険性の有無を注視しているのである。

秋葉原で爆買い

 実は米同時テロ以前から、アルカーイダの関係者は複数、来日していたことが確認されている。武器調達担当幹部とされるモハメド・ハリド・サリムは1995年に来日し、東京・秋葉原で日本製無線機約1000台を購入している。

 この無線機の一部が、同年6月のムバラク・エジプト大統領(当時)暗殺未遂事件の犯行グループのアジトから発見されたことから、「先進国の中で最もハイテク機器の管理が甘い日本が、テロリストによるハイテク技術入手の草刈り場となっている」「結果的にテロに手を貸しているのと同じだ」などと西側諸国から批判された。

 サリムは1998年8月のケニアとタンザニアの米大使館爆破事件の黒幕だ。同年、ドイツで現地当局に逮捕され、米国に身柄を引き渡されている。また前述のアルカーイダ幹部、ハリド・シェイク・モハメド(KSM)も来日経験がある。KSMはアルカーイダが創設された1988年より前の1987年7月に来日。約3か月間滞在し、静岡県内の建設機械メーカーで削岩機の技術研修を受けていたのだ。

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 潜伏する国際テロリストと公安の闘いは決してドラマの世界だけの話ではないのである。後編では、外事三課の人員を大幅に増やすきっかけとなった大物テロリストとの攻防についてご紹介する。

『公安は誰をマークしているか』(新潮新書)より一部を再編集。

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