要人警護と警察庁長官…危機管理の舞台裏で何が起こっていたのか

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「忍者型」から「威圧型」へ

 全国47都道府県警唯一の警護専門セクションである警視庁警護課には、首相を守る警護第1係、首相以外の大臣を護衛する第2係、一部の駐日大使や来日要人、応援の担当の第3係、政党トップや自民党首脳、元首相、都知事を護衛する第4係がある。

 ただし都知事は別枠の都条例に基づく警護対象で、大阪府知事にも府条例で府警の警護がつく。横山ノック、橋下徹両元知事らのニュースでは「SP」と表記された例も多く、狭義のSPは警視庁限定だが、広義のSPには府警なども含むとされる。

 警視庁警護課の発足は1965年。64年にライシャワー駐日米大使が日本人にナイフで刺され、重傷を負う事件があり外国要人の警護強化が課題となったためだった。75年には三木武夫首相(当時)が佐藤栄作元首相の国民葬が行われた日本武道館前で暴漢に襲われる事件があり、それまでの目立たないよう見守る「忍者型」から、米大統領を警護するシークレット・サービスの、故意に見せる警備を手本にした「威圧型」に警護手法を転換し、要則が制定された。SPはこの頃に命名されたという。

 要則は金丸氏狙撃テロをきっかけに、事件2年後の94年に改正され、警察庁が現地警察の警護計画を現職首相らに限定して関与する制度が導入されたが、要則はこれ以降手付かずのまま。安倍元首相狙撃テロでようやく見直され、旧要則を廃止した上で警察庁が全ての警護計画に関与する、新たな要則が制定された。要則の“是正”は実に28年ぶりのことだった。

露木長官、改革の出直し余儀なくされる

「選挙運動が行われている中で敢行された、凶悪な犯罪だ」

 露木康浩警察庁長官(現)は4月20日、記者会見で憤りの表情を浮かべ、こう語った。安倍元首相狙撃テロからわずか9カ月後の同15日に発生を許してしまった岸田文雄首相への爆弾テロ。

 現場は衆院補選の応援演説で訪れた和歌山市の漁港で、有力政治家が大勢の聴衆に囲まれる国政選挙は鬼門であることが改めて示された。首相は無事だったが露木長官は警護改革の出鼻をくじかれる結果となった。

 SPは専従警護員などと呼ばれ、ほかに一般の警護員や指定警護員がいる。道府県警の警備部で警護を兼務する課に所属する一般の警護員は警視庁警護課に1年間派遣され研修を受ける例も多い。都道府県警で警護の実務訓練や専門講習を受けたり実践経験を積んだりして、所属する所轄署などから大規模警護に応援招集されるのが指定警護員だ。

 要則刷新に伴い警察庁は警視庁警護課研修の大幅増員を発表。警視庁は警護課を50人増員して定員も300人以上に拡充し、警視庁全体での警護体制増強の方針も打ち出していた。出直しを余儀なくされた露木長官は、来秋の自民党総裁選をにらんで1年以内とも言われる解散・総選挙でその手腕が問われることになる。

大島真生(おおしま・まなぶ)
1968(昭和43)年東京都生まれ。新聞記者。産経新聞東京本社社会部で警視庁捜査一課担当、警視庁サブキャップ、同キャップ、警察庁担当、宮内庁キャップ等を歴任。著書に『公安は誰をマークしているか』『愛子さまと悠仁さま』(いずれも新潮新書)等

デイリー新潮編集部

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