要人警護と警察庁長官…危機管理の舞台裏で何が起こっていたのか

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「国民を守る」強い思いが裏目に出た國松長官

「ようやく復帰でき、感無量」

 95年6月15日、入院先の日本医科大付属病院(東京都文京区)から2カ月半ぶりの登庁を果たした國松孝次警察庁長官(同)は同年3月30日朝、出勤の際に自宅マンション(荒川区)の前で狙撃テロに遭い、6時間に及ぶ大手術を受けたが、奇跡的な回復力を見せ、職場へ復帰した。10人を超すSPが警護する中、霞が関の同庁へ午前9時過ぎに到着。職員らを前にこう挨拶した。

 国民の安全を守ることこそが警察の役目、との思いが強いと言われる國松長官は事件当時、「警察が警察を守ることに違和感がある」と、自身にSPをつけていなかった。命を救った救急医から入院中、「東京で撃たれたから助かった。地方だったら難しかった」と聞き、ドクターヘリ普及の必要性を痛感する。

 退院後にこの医師からNPO法人「救急ヘリ病院ネットワーク」を立ち上げたいと相談されて2003年、理事長に就任。07年のドクターヘリ特措法成立に奔走した。だが安倍晋三元首相狙撃テロでは、このドクターヘリをもってしても命を救うことはできなかった。

 昨年7月8日、奈良市の私鉄駅前で参院選の応援演説中に凶弾に倒れ、1キロ離れた平城宮跡で救急車から奈良県のドクターヘリに移されて20キロの距離を県立医科大付属病院まで搬送されたが、もはや手の施しようがなかったからだ。

政権に重用された中村長官の皮肉な結果

「人心の一新をはかるべく、私自身については国家公安委員会に辞職を願い出た」

 元首相の殺害という最悪の事態に中村格警察庁長官(同)は同8月25日、記者会見でこう述べて引責辞任した。捜査関係者は「安倍政権に重用されながら守れなかったのは皮肉な結果」と指摘した。

 戦前のクーデター未遂を除けば前代未聞の事件を受け、要人警護について定めた、警察法施行令に基づく国家公安委員会規則「警護要則」が刷新され同26日に施行された。

 要則では、要人を身辺警備する警察官を「警護員」と定義。護衛される「警護対象者」は要則の第2条で「内閣総理大臣、国賓その他その身辺に危害が及ぶことが国の公安に係ることとなるおそれがある者として警察庁長官が定める」と規定されている。具体的には国務大臣や衆参両院正副議長、与野党各党トップ、元首相、最高裁長官らがいる。

 ただ政党トップや元首相には辞退する人もおり全員にSPがついているわけではない。共産党のトップは代々SPを遠ざける傾向にあるとされ、政界を完全に引退したことなどを理由に遠慮する元首相もいる。

 また民間人でありながら歴代経団連会長には以前、SPがついていた。経団連が1977年に銃を持った右翼団体関係者らに襲撃される事件があったためだ。

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