鬼才監督が振り返る80年代セクシー女優黄金期 「豊丸は控え室で小説を読んでいた」「あいだももは有名なテレビ俳優と…」

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人気女優の“叛乱”

 プロっぽい子ばかりでもなかった。今も昔も変わらないのでしょう、事務所に騙されているような子もいた。のちにテレビにも出るようになったTという人気女優が「撮影前に話がある」と言うので、所属事務所の社長とマネージャーと4人で一緒にケーキを食べに行ったんです。社長は「この子はケーキさえ食べさせとけば大丈夫ですから」と、そんざいな扱いをしていました。

 で、Tといざ向き合ったら紙を出してきて、「事務所にいる女の子みんなでNG事項を決めましたので、ここに書いてあることはやりません」って。内容を見ると、とてもじゃないけど仕事にならない内容です。「これは厳しいんじゃない?」と返しても、彼女は「みんなで決めましたから」と頑として聞かない。

 一方、彼女のいないところで社長は、「ああは言っていますけど、監督次第で何でもやりますから」と耳打ちしてくる。私は怒って「それはあなた方の仕事でしょう」と言い返しましたが、結局、なあなあにされたまま撮影日を迎えました。

 いざ撮影が始まったらどうなったかというと、Tは何事もなかったかのように男優さんと絡み出す。もちろん、こちらは強要など一切していません。ただ、その時、彼女は風邪か何かで体調が悪くてフラフラだったんですね。だから、現場判断で「無理して続けず、追撮にしよう」と言う話になり、一応、事務所に電話してお伺いを立てた。すると、マネージャーは「アンタは医者ですか」って絡みついてきた後、すごい剣幕でこう言ってきた。「どうぞ倒れるまでやってください」。

 結局、こういうところが引っかかって業界から離れてしまったところがあります。アウトローな世界に慣れないと駆け上がっていけないような世界だった。あの時代で成功した著名な監督さんを何人も知っていますが、みんな深海魚みたいな顔をしていた。目が笑っていないんです。

 気づけば僕が撮っていたのは、モテない男のファンタジーばかりでした。「朝まで生テレビ」をパロディー化した「朝まで生本番」とか、くだらない作品ばかり世に送り出しましたが、“本物”になりたいとは最後まで思いませんでした。

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 映画「スキンスナイト」で、家族を養うために悩みながら、セクシービデオの制作会社を営む主人公の姿は、望月監督の生き様そのものだった。同作には当時活躍していたセクシー女優も多数出演している。

望月六郎
1957年東京都出身。1985年に『本番ビデオ・剥ぐ』で監督デビュー。1987年にイースタッフユニオンを結成し、『フラッシュバック』シリーズなどを演出。1991年に『スキンレスナイト』で一般映画監督デビューを果たす。その後、奥田瑛二主演の『極道記者』(1993)、『皆月』(1999)をなどの話題作を手掛け、『新・悲しきヒットマン』(1995)では、日本プロフェッショナル大賞のベスト1と監督賞を受賞。1997年公開『鬼火』『無国籍の男血の収穫』『恋極道』の3作で、キネマ旬報ベスト・テン監督賞を受賞。2006年から、自身が脚本・演出を務める劇団「DOGA DOGA+(plus)」を立ち上げ、現在も精力的に活動を続けている

デイリー新潮編集部

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