鬼才監督が振り返る80年代セクシー女優黄金期 「豊丸は控え室で小説を読んでいた」「あいだももは有名なテレビ俳優と…」
「鬼火」「恋極道」などの代表作で知られる映画監督・望月六郎氏(66)のデビュー作品「スキンレスナイト」(デジタルレストア版)が、9月16日から東京都新宿区の「K's cinema」でリバイバル上映される。同作は1991年に公開。望月氏が20代後半から30代にかけて、セクシービデオ業界で悪戦苦闘していた日々を自伝的に描いた作品だ。再上映に先立ち、望月氏に往年のセクシー女優たちとの思い出を語ってもらった。
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レンタルビデオが「1泊2日1000円」だった時代
今はスマホでセクシー動画が気軽に見られる時代になりましたが、僕が業界に入った1985年頃はお父さんが家の中でコソコソ隠れて観ていた時代。作品を買おうものなら1万5000円くらいはしたし、主流はレンタルビデオでした。それも1泊2泊で1000円もした。あの頃は、セクシー女優の希少価値が今と比べてはるかに高かったんです。
だから、女優さんたちもそれなりの覚悟を持って脱いでいた。プロ意識を持っている子も多くて、女優の方から「真面目にやってください」と叱られたこともあります。僕はピンク映画で食べられなくなってこっちの世界に入った。結局、会社が潰れるまで7年くらい続けたんですが、ずっとどこかで自分の居場所じゃないって中途半端な気持ちだったんですよ。
現場に入る時はいつも酔っ払っていてベロンベロン。プロとしての仕事はカラミに入るまでで、コトが始まっちゃうと男優とカメラマンに任せて寝ちゃっていた。実は仕事として他人が交わっているのを見るのは、あんまり面白いものではないんです。
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