「志村けんのギャグはマンネリ」と批判していた人に、本人がしていた納得の反論【メメント・モリな人たち】

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「気分転換、ストレス発散がすごく下手なタイプ」

 さて、志村のギャグを「マンネリ」と批判する人がいたが、これに対して志村はこう反論している。

「僕は笑いにはマンネリは絶対に必要だと思う。お客さんにすれば、『多分こうするよ。ほらやった』と自分も一緒になって喜ぶ笑いと、『意表を突かれた。そう来たか』とびっくりする笑いの2種類あると思う。全部意表を突かれてしまうと、お客さんも見ていて疲れてしまうだろう」(「変なおじさん【完全版】」新潮社)

 マンネリになるまでやるというのは、実はすごいことなのだ。酔っ払いにしても、お婆ちゃんにしても、バカ殿にしても、スケベな中年男性にしても、「こういう人っているよなあ」と思わせる演技。だからこそ、世代を超えて多くの人に、志村は愛されたのだろう。

 でも、本人は大変だったに違いない。「気分転換、ストレス発散がすごく下手なタイプ」と、あるインタビューで自嘲気味に語っていたが、枕元にはネタをメモするためのノートが置いてあり、夢に出てきたコントやギャグをすぐ書き残したという。そして、連日の深酒が体を蝕んだ。六本木のクラブでも接客についた女性を冗談や物まねで楽しませた。

 笑いの天才でもあったが、どこか孤独を抱えていた。社会の片隅に吹き寄せられながら肩をすぼめて生きている人たちの悲しみや苦しさもよく理解していたコメディアンだった。

 それにしても、新型コロナウイルスという奴は人の心をも蝕む病気だ。志村にコロナを移したと、ネットで「感染源」とのデマを流された女性もいる。この女性は名誉を毀損されたとして、投稿した男女26人に計約3300万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴。「デタラメな内容で人を傷つければ責任を問われると知ってほしい」と訴えた。

 コロナ禍での不安や恐怖が、人々をさらなる不安や恐怖に追い詰める。志村の死は、先行き不透明な現代社会の実相を照らし出したとも言える。

 さて次回は、女優の太地喜和子(1943~1992)。陽気で、奔放で、匂うような色気があり、しかも内面の悲しみが出せる女優だった。巡業公演先の静岡県で自動車転落事故に逢い、亡くなってから21年。短かった48歳の生涯をたどる。

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

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