ピカソにウォーホル、ホックニー… なぜ芸術家はボーダーシャツを着るのか
最近、特にこの夏、街を歩く人達、電車の乗客、テレビの出演者が着ているシャツに異変を感じたことはありませんか。僕の目に飛び込んでくるのは横縞のボーダーシャツです。老若男女関係なく年齢を超えてこのシマシマ柄を着ている人の多いこと。
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ボーダーシャツは国籍関係なく昔からよく見掛けていました。小さい子供のアイテムでもあったように思います。戦前は、水兵のシャツがブルーのボーダーだったと記憶しています。戦後はアメリカ漫画のポパイも着ていました。
僕に初めてボーダーシャツの強烈な印象を与えたのはピカソです。ピカソはボーダーシャツをユニフォームのように着こなしてアトリエで絵を描いていました。ピカソがこのシャツを着るとまるで子供みたいに見え、彼にはこれ以上に似合う衣服はないように思いました。縞模様はピカソのトレードマークのようで、ちょっと真似ができないほど強烈な印象を与えていました。このボーダーシャツはピカソ芸術の核でもあるインファンティリズム(幼児性)がピカソそのものの精神であることを物語っていたように思えます。
そうこうしている内に、画家のアンディ・ウォーホルも、デビッド・ホックニーも、ボーダーシャツを着用し始めました。1960年代のアメリカのポップアーティストのほとんどがジンジャケにジーンズを愛用して、いつの間にか現代美術家のユニフォームになっていた時期がありました。その頃、どうもこの次はボーダーシャツではないかと僕は薄々感じていましたが、僕が直接影響を受けたのは、ヴェニスに行った時、運河を渡るゴンドラの船頭のユニフォームでした。
頭にはパナマ帽、シャツは白黒、または白赤のボーダーで、首に赤いネッカチーフ。このスタイルはヴェニスを象徴し、観光客の目を奪い、胸を時めかす実にロマンティックな旅愁を漂わせて、思わず興奮したものです。
僕はそんなゴンドラの船頭のファッションに憧れて、観光客相手のお店に入ったものの、ボーダーシャツのイメージがあまりにもヴェニスを象徴しているので、おじけづいて、シャツの代りにパナマ帽を買ってしまいました。パナマ帽は手でくしゃくしゃにして、ポケットにまるめて入れても、取り出すとパッと開いて、まるでマジックのように、皺(しわ)もなく見事に新品に戻り、現在も愛用しています。
さて、ボーダーシャツのルーツですが、その昔、ヨーロッパでは悪魔を象徴する柄であったり、犯罪者や異端者などが愛用していたというのです。だとするとアーティストも、どこか悪魔のインスピレーションを受けたり、反社会的な行為によって犯罪者として問われる場合もあったり、いずれにしても異端者の親戚みたいな存在でもあります。だからこのデザインは似合うにきまっています。
そこで僕は去年の夏にボーダーシャツの色違いのものを20着ばかり爆買いしてしまいました。コロナのせいであまり外出はしなくなりましたが、取材の時などは必らずボーダーシャツを着用しています。
その柄は水玉模様と同じように実にありふれた装飾模様ですが、着るとなぜか、自分が抽象化されて、匿名的人間になったようで、その他大勢の人達の中にまぎれて、自意識が消えていくような不思議な無感情な感覚に解放されるのを経験しました。
さらにボーダーシャツを連想する本の装幀もデザインしました。昨年出版した小説『原郷の森』(文藝春秋刊)の表紙、裏表紙をぐるっと白黒のボーダー柄で巻きました。それは書店の店頭でどの本の装幀よりも目立っていたように思います。そして『原郷の森』を立体空間の中で展開するという展覧会(「原郷の森」展)が神戸の僕の美術館(横尾忠則現代美術館)で開催されました。
オープニングの当日の招待客全員に「ボーダーシャツ着用」を義務づけたせいで、大勢のシマシマ人間が集まり、美術館内は盛り上りました。まあ大人の遊びとして、アート本来の遊びとどこかで結びつけられたように思います。
オープニングセレモニーだけでなく、展覧会の会期中に、ボーダー柄のシャツを着用して来館されると特典を受けられたと聞いております。ボーダーシャツもアートとコラボすることによって、想像以上の社会的メッセージを発信できたのではないか、と思います。今回のボーダーシャツによるイベントで、世の中に「何か」を印象づけたことには間違いないと思いますが、果たしてそれが「何であったか」はわかりません。そんなことはわからなくても「ドンマイ」です。