「通り魔予告」急増で「ソウルでは外出を躊躇する」異常事態 韓国人の苦痛の根源に“相対的剥奪感”
「同列」であった存在との不公平さ
昨今、韓国で社会問題が起きると頻出する言葉が「相対的剥奪感」である。2021年韓国心理学会学術大会でもテーマの一つとなった。
相対的剥奪感とは、他人との比較を通じて生じる否定的な感情をいう。
実際に何かを失ったわけではないが、他の人が恵まれていたり、何かを得たりする中で自身が何かを奪われたような気分になる。同じ条件下で努力をしたにもかかわらず、なぜあいつだけが成功し、自分は恵まれないのか。自分だってそれを得られたはずなのに、おかしい……と不公平さを覚える感覚だ。また、比較対象は自身とかけ離れた存在ではなく、もともと「同列」であった存在である。
相対的剥奪感を定義づける要件はさまざまな見方があるが、自分が求めていた対象を、自分ではない誰かが所有している上で、それを所有する資格が自分にあったと感じており、かつ所有できたと考えている。そしてそれを所有できなかった責任は自分にはないと感じている状態だとされている(Crosby,1976)。
この相対的剥奪感が、現代の韓国社会の苦痛の根源であるというのだ。
SNSの悪影響
中でも相対的剥奪感を強く感じているのがMZ世代と呼ばれる10代から30代である。今回、犯罪予告の半分以上は10代によって行われたもので、残りは20~30代だったことからも韓国の若者が不満を溜め込んでいることがうかがえる。まるでこれを機に、日ごろの不安や鬱憤を晴らしたかのようだ。
近年では「ピョラッコジ」という言葉も流行った。「雷に打たれて、突然無一文になった」という意味だ。自分の意思と無関係な外的要因によって保有資産の価値が暴落することを指す言葉で、文在寅政権(2017~2022年)の不動産政策下において流行した。
人と同じくらい働いて努力したのに、「不運」によって何もかも失ったというニュアンスを含むこの言葉は、まさに相対的剥奪感を表しているといえる。
そして言うまでもなく、SNSの普及は相対的剥奪感をより日常化した。SNSを開けば、自分よりも美しく、有能で、恵まれている人が無数に出てくる。韓流・K-POPスターの豪華な私生活も然りだ。彼らが称賛されているのを見かけるたびに、自分が何かを奪われたような気分になるのだ。
[2/4ページ]