巨人はもう3位浮上を諦めたのか 原監督の不可解な采配に疑問【柴田勲のセブンアイズ】

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北村の登板で思い出したこと

 3日、9回に門脇が決勝打を放って3連敗を免れた。先発の井上温大が2回途中7失点の大乱調だったが反撃し、松井颯、タイラー・ビーディ、船迫、今村信貴、アルベルト・バルドナード、そして中川皓太6投手のリレーで逃げ切った。1点差の勝利だった。

 前日には救援陣が崩壊して8回には北村拓己が登板した。野手の登板は、20年8月6日、甲子園での阪神戦での増田大輝以来、3年ぶりだった。

 この登板を巡って外野は騒がしいが、チーム事情があってのことで仕方なかったと思う。実際、巨人はバルドナード、中川の二人を温存することができた。

 でも巨人投手陣、ふがいないよね。翌日救援陣が奮起したのは北村の登板があってのことで刺激になったのではないか。

 私にも似た経験がある。長嶋(茂雄)さんの第1次政権のときで北陸遠征だったと記憶している。出る投手、出る投手が次々と四球を連発して完全に負け試合だった。

 長嶋さんはカリカリしてね。8回裏を迎えると「オイ、柴田よ、ピッチングをしておいてくれ」と声がかかった。ベンチには翌日の先発しか残っていなかった。

「いいですよ」と返事をして慌ててブルペンに走った。長嶋さんは8回裏の攻撃で投手に代打を出すつもりだった。結局、代打を出さずに私の登板もなかった。

 北村は志願だったという。コントロールに自信があったのか。初球にストライクを決めている。

「どこに投げるか」を考える

 巨人の若手投手陣はいいものを持っている。球は速いし、スライダー、カーブ、フォークなど球種も多彩だ。だがいかんせん、コントロールが悪すぎる。四球、四球で崩れる、自滅するケースが多い。

 私なら例えば秋季練習の10日間から15日間は全投手に100球すべて外角低めに速球を投げるよう指導する。外角低めは投球の基本中の基本だ。まあ、10球投げたら1球はカーブでもいいが。

 毎日投げていたらさすがに安定してくる。いまの投手はいろんな球種を持っているせいか、何を投げようかと考える。そうではなく、どこに投げるかだ。

 以前の戸郷は外角低めにビシッと決めていたが最近は決まらなくなってきた。フォーク、フォークの連投でそのうち真ん中周辺に集まった球が痛打されている。

 続けて外角低めへの投球練習をしていればどうやって投げるか考える。下半身を使い、いい投げ方をするようになる。フォームもよくなる。コントロールに自信が付く。化ける可能性も出てくる。

 北村の登板から話が飛んでしまった。

 5日からはヤクルト(神宮)、中日(東京ドーム)の6連戦、改めて原巨人の戦い方に注目したい。(成績は4日現在)

柴田 勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会理事を務める。

デイリー新潮編集部

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