「俺はヤクザだ。疑うならネットで検索しろ」 10代女性へのわいせつ行為で逮捕された組員のシンプルすぎる犯行と所属組織の数奇な運命
2代目宅見組幹部から
一方で、この男が所属する杉本組のこの数年の動向はシンプルとはほど遠い。そのあまりに複雑な動向は、業界でも注目の対象となっているのだ。
その数奇な運命を見てみよう。
現在の3代目杉本組の山田一組長は元々、3代目山口組(田岡一雄組長)傘下の竹中組(竹中正久組長)に籍を置いていた。1980年発生の「姫路事件」(一部では姫路戦争とも称される)で実行犯となり、懲役12年の刑を受け、徳島刑務所で服役した人物である。
その後、6代目山口組傘下・2代目宅見組(入江禎組長)の幹部に。2015年に入江組長らが神戸山口組を立ち上げた際には従って傘下に入ったものの、翌16年に神戸山口組からの脱退を宣言して絶縁処分を受ける。この時、山田組長の実子である大山義明若頭(当時)は、組長の方針に意を唱えて、4代目杉本組を立ち上げた。これにより、杉本組は分裂に至った。
2代目竹中組から池田組
「山田組長は2代目宅見組の若頭候補でもあったのですが、造反して6代目山口組傘下の2次団体・2代目竹中組(安東美樹組長)へ移籍しました。かつて所属した竹中組の縁を頼ったうえで、元サヤである6代目への復帰ということになりますね」
と話すのは、竹垣悟氏(元山口組系義竜会会長で、現在はNPO法人「五仁會」を主宰)。
しかし、そこから半年も経たないうちに今度は、当時、神戸山口組傘下だった池田組(池田孝志組長)に移籍。動きはそれにとどまらず、10ヶ月ほどが経過して、今度は6代目直参となった。
整理すると、わずか8年ほどの間に「神戸山口組立ち上げに参加」→「6代目山口組側へ移籍(同時に組は分裂)→「神戸山口組側に移籍」→「6代目山口組直参に」と目まぐるしく動いたことになる。
形のうえではあたかも川中島を何度も往復するような、節操のない動きと取られても仕方がないのかもしれない。一旦2代目宅見組から絶縁処分を受けたはずなのに、同じ神戸山口組傘下の池田組に移籍している点も「ヤクザの常識」から見れば許されざる行為と言える。
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